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2018-06-04

◆桑實寺と安土城  前編

休日を利用して滋賀県にある安土城考古博物館に出かけた。

こちらには近くに安土城の趾があり、博物館内にも安土城を一部復元した原寸大の建物がある。

桑実寺1

「武将達は何故、神になるのか」

という展示会を観るのが目的だ。

展示会図録


内容は大変面白く判りやすいものであった。

観覧後、前から知ってはいたものの、中々行く機会に恵まれなかった、博物館裏手の山中にある「桑實寺(くわのみでら)」にお参りに行くことにした。


桑実寺2


桑實寺へ向かうには車では行けない。山の麓から続く石の階段を登って行くしかない。

参道は長くて疲れると聞いていたが、想像よりも長い石段だった。

桑実寺3


桑實寺は白鳳6年に創建された天台宗の古刹だ。

桑実寺4


しかし本当に長い。


桑實寺は天智天皇の勅願寺院として創建された。縁起によればその昔、湖国に疫病が流行し、天皇の第四皇女、阿閇姫(あへいひめ)も病にかかった。

姫は病床で琵琶湖に瑠璃の光が輝く夢を見た。この話を聞いた天皇が定恵和尚に法会を営せると湖中より生身の薬師如来が現れ大光明が差した。
 
この光明に当たった人々の病は治り、姫の病も治った。この薬師如来を本尊としたのが桑實寺で、定恵和尚により白鳳6年11月8日に開山した。
 

桑実寺5


山門が見えたので着いたかな?と思ったが、ここが入り口で更に階段が続いていた。門の脇に置いてあった竹の杖を拝借。


桑実寺6


真夏だったら水筒必須です。
 
桑実寺7


桑實寺の寺名は、定恵和尚が中国より桑の木を持ち帰り、この地において日本で最初に養蚕技術を広められたことに由来する。私の職業にピッタリのお寺だ。
 
 桑実寺8

上の方にお堂が見えたが、こちらは地蔵堂だった。

更に階段は続く。

桑実寺9

お地蔵さんをお参りしがてら小休止。そしてまた歩を進める。

桑実寺10

参道を登っているのは私だけ。余計な物音は無く、ウグイスが鳴いていた。

天狗でもいそうな雰囲気だった。

桑実寺11

ようやく本堂が見えた。立派な御堂だ。

桑実寺12


こちらの本堂は南北朝時代の建物で、重要文化財に指定されている。山の一部を削った場所に建っているようだ。

桑実寺13

滋賀県のお寺参りをしていると、織田信長が火をつけたという話が沢山残っているが、桑實寺は信長の居城、安土城があったすぐ近くのお寺なので、流石に火はつけなかったようだ。
 
長い階段を登り切って目に飛び込んできたお堂は、大変素晴らしく美しかった。

本尊の薬師如来は秘仏であったが、その他にも密教寺院らしく多くの仏像が残っていた。

桑実寺薬師如来


こちらは頂いた案内に掲載されていた写真。

秘仏の薬師如来像だ。縁起によれば奈良時代の作と云われる。

御開帳は12年に1度。寅年に行われる。

寅年の春と秋に開帳するそう。具体的な日程はその年ごとに若干違うらしい。


帰り際、下山途中にある木の下を通りかかったら静かな風と共に、上から葉っぱがハラハラと結構な枚数が落ちてきた。光が反射して、何ともいえない美しさで見とれてしまいカメラを向けることも出来なかったのが悔やまれます。

自然と溶け込むような良いお寺です。ご興味のある方はぜひどうぞ。

※桑實寺はこちら



と終わる予定でしたが、今回はあまり興味は薄いですが、織田信長が築いたお城、安土城についても少し触れたいと思います。



2018-05-12

◆大阪・四天王寺

今年の4月。かねてよりお参りに行きたかったお寺、大阪の四天王寺に出かけた。

四天王寺③

想像以上に大きなお寺だった。

日本仏法最初の官寺の四天王寺。四天王寺のHPによればこうある。


推古天皇元年(593)に建立。今から1400年以上も前のこと。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もしこの戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立された。


とある。小学生の歴史の教科書にも出てくる有名な話が残る寺だ。

四天王寺⑦


四天王寺はぐるっと見て回るだけでもかなりの時間を要する。その広い境内の中で気になるものがいくつもあった。


その中でも、一番驚いたのが物部守屋を祀る祠があったことだ。


四天王寺の中心伽藍のさらに奥、太子殿と呼ばれる、聖徳太子を祀るお堂がある。四天王寺の中でも特に大切と思われる一角で、塀に囲まれている。調べてみたら聖徳太子の御廟という面もあるようだ。
 
 
その大切な霊地の中に、聖徳太子を祀る場所に、聖徳太子と敵対し討たれた物部守屋が祀られているのである。

四天王寺④


この日は平日だったが、大勢の参拝客がいた。しかしこの守屋の祠には誰一人いなかった。何故なら祠には近寄れないよう柵が設けられていたからだ。


この画像の位置からしか守屋の祠は確認できない。しかも丁度木の枝葉が遮り、直視出来ないようになっている。ここから少し見える赤色の祠がそれである。


敵対した守屋が祀られているのも驚きだったが、お参り出来ないようになっていたのも不思議だった。

太子殿は塀に囲まれており、参拝できる位置は2か所設けられていた。一つは参拝客が太子殿を正面からお参りする位置。


もう一つは、塀沿いに歩くと現れる、太子殿を横からお参りできる位置だ。この場所には門があり閉まっていた。

四天王寺②


この場所、門を開けるとすぐそこに太子殿があるのだが、実はこの太子殿の奥が、守屋を祀る祠になっており、どうもこの位置から手を合わすと守屋の祠が正面を向いているように造られている。


守屋の祠をこの位置からお参り出来るように門が設けられていると思うが、その祠を直視出来ないように太子殿があるのだ。


一つ一つ気になり始めると、この祠が厳重注意扱いになっているのでは?と思えてきた。


後で書籍をあさってみたが、どうも古くからの言い伝えでは、守屋は死後四天王寺に対して祟ったようである。キツツキの大群となり四天王寺を壊そうとするが、聖徳太子が鷹になりこれを追い払うというような昔話もあった。


四天王寺①


直観だが、守屋の祠は封じ扱いになっていると思った。その一角を担っているのがこちらの弁天堂だと思う。


空中からこの周辺の様子を見ると、どうもそれらしく建物が配置されているようだ。


仏教寺院であれば、祟る相手は仏の力で供養するのが普通だ。四天王寺には神仏習合していた時代の名残りもあるので、祟る守屋を仏と習合することにより供養すればいいものを、どうもそうはせずに(出来なかった?)神として祀っているようだ。


四天王寺の災難は歴史を振り返ると多く、近年では昭和9年の室戸台風で、五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被った。


昭和15年には五重塔を再建するものの、昭和20年には大阪大空襲により、六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物を残し、境内のほぼ全域が灰燼に帰している。


その時代を経験した僧侶達は「物部守屋が祟っているのでは?」と思ったのではないか・・・。


そんなことも考えながら、境内を散策しているとまた気になるものが出てきた。


四天王寺⑤

石舞台だ。


四天王寺⑥

国の重要文化財に指定されている石舞台は、毎年4月22日に行われる聖霊会の舞台でもある。


聖霊会は聖徳太子の命日を偲んで行われる、四天王寺の行事の中でも最も重要で大規模な舞楽法要で、千四百年の歴史を持つ聖霊会は、法要と舞楽が一体となった古の大法要である。


1400年の歴史を持つ祭というのも凄いが、看板を読んで引っかかったのは「聖徳太子の御霊をお慰めするもの」という箇所だ。

御霊というのは、神道で言う魂、和魂とか荒魂を指す言葉だが、怨霊という一面もある言葉だ。


聖徳太子も歴史家の中には暗殺されたという説を唱える人もいるが、この「慰める」という言葉からは、「聖徳太子も、もしかすると祟るかもしれない」という恐れる気持ちを感じた次第です。




2018-04-10

◆京都・『閑臥庵』

京都の泉屋博古館という、中国の古代青銅器を沢山収蔵する美術館を観に行くツアーに参加した。

そのツアーの中で昼食で立ち寄ったのが黄檗宗(禅宗)のお寺、「閑臥庵(かんがあん)」だ。

こちらのお寺は京懐石普茶料理という、肉や野菜を使わない料理が有名である。

実際、初めて食べた普茶料理はなかなか美味しかった。


閑臥庵はツアー的には昼食で訪れただけだが、個人的には本ツアーの中で一番驚いた場所だった。

平安時代の陰陽道の神像を祀っていたのだ。

京都閑臥庵①

仏像と神像、どちらも好きでお参り出来る機会があれば拝観に出かけるが、仏教の仏様を彫ったものが仏像。かたや神社の神様を彫ったものが神像と言う。
 
 大陸から来た仏教の仏像と違い、神像は日本の神なので、着ている服装も昔の人の服装に準じている。官位束帯の出で立ちが多い。しかし、こちらのお寺の神像は、神道(日本風)の神像ではない、大変珍しい陰陽道の神像なのだ。
 
 
閑臥庵チラシ・部分
(画像は頂いたチラシより)

この神像は「北辰鎮宅霊符神」と言う。陰陽道の最高神、北斗七星(北極星とも)を神格化した神様だ。

何でも元は平安時代の中頃、円融天皇が方除、厄除の霊神として京都の丑寅(うしとら:東北)に当たる貴船に祀ったもので、安倍晴明に付託開眼させたと伝えられる金剛像とあった。


貴船と言えば貴船神社のことか。閑臥庵がある場所は町中の平地だ。貴船はもっと遠い山の中である。


京都閑臥庵②

お寺にある縁起によれば、江戸前期頃、後水尾法皇が夢枕に立った父、後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護の為に貴船の奥の院から、この地へ勧請したとあった。


来歴を見て気になったのは、京都御所から見て鬼門は比叡山であり、貴船はほぼ真北であることだ。貴船は鬼門ではないということ。それと平安時代に鎮座したものを、霊夢とはいえ何故この地に持ってきたか?である。
 
 
食事中、男性のスタッフが料理を運びながらこの北辰鎮宅霊符神について解説してくれた。


京都閑臥庵③

話は変わるが、今更気付いたが、上の写真の左上、何か黒い影が写っている。丸い何かだろうか。気持ち悪い感じはしないので多分大丈夫だと思うが、私と一緒にお堂を見てた感じか。まぁこういうこともあるか・・・。

話を戻そう。


この男性は神主(?)らしく、お寺の本尊はお坊さんが、北辰鎮宅霊府神はこの神主さんがお参りしているらしい。変わっているのは北辰鎮宅霊符神の祭祀は夜にやるということだった。
 
また通常神社の参拝の所作は、柏手は2回叩くがこちらの場合は7回叩くそうだ。
 
 
これはこの神様が北斗七星であるからとのことだった。なぜ夜祭祀をするのかと言うと、陰陽道は呪い要素が強いので人が寝静まった夜に行うとのことであった。
 
 
確かに陰陽道には式神を始め、映画や小説、漫画などの影響もあり呪術合戦というイメージがあるが、むしろ陰陽道の中核はあくまで暦だ。
 
夜に行うというのは、やはり最高神が天体の中枢でもある(と考えられた)、北極星や北斗七星を神格化した神様だからということではと思う。夜でないと星は見えないからだ。
 
 
私が今まで実際にお参りした神像、本で見た神像、そのどれとも違う姿が衝撃的だった。陰陽道では丑寅の大金神、牛頭天王、そのご子息たちの八王子など、祟り神の方のが有名なので陰陽道的な神像も牛頭天皇や八王子は見たことがあったが、この北辰鎮宅霊符神のような神像があることすら知らなかった。
 
 
それもそのはずで、長らく秘仏であったらしく、こちらのお寺でも公開に踏み切ったのは2009年からとのことであった。


食事が終わった後、今一度このお堂の前に戻り、観察してみた。


確かに狛犬にも陰陽道の形跡があった。

京都閑臥庵⑤


五芒星だ。

神像を祀るお堂では線香は焚かないが、こちらには線香を燃やす炉もあった。その線香の置き方も五芒星だ。

京都閑臥庵④

再度手を合わせてお参りし、格子の隙間から中を除くと、黄檗宗系の中国系の天部像も祭ってある。そしてこれも興味深かったが、秘仏だった北辰鎮宅霊府神の※御前立が宇賀弁才天だったことだ。
 
日本の宗教は仏教や神道、そして陰陽道が複雑に絡み合っていた時代があった。その中で北辰鎮宅霊符神が密教の宇賀弁才天と習合したのかもしれない。弁才天ならありえる話だ。
 
 
閑臥庵に特殊な神像があることは、そんなに有名ではないようなので、殆どこの神像に纏わる資料らしい資料は見当たらない。近年まで秘仏だったので猶更だ。


短い滞在時間だったが、色々と考えさせられるお寺だった。ある意味最も京都らしい神像を祀っていると言える。晴明神社をお参りする人は、ぜひ足を延ばしてこちらへお参りに来ることを強くお勧めします。



※御前立・・・厨子に閉ざされた仏像の前におく仏像のこと。本尊を真似たものが多い。このお寺のように全然違う姿の仏像を置くのは稀である。

2018-03-27

◆辨天寺

弁天寺1

名古屋市港区にあるお寺「辨天寺」。
 
 
仕事中に真言宗の匂いのするお堂を見つけた。
 
 
個人的に弁天様は好きでよくお参りしてるので、お寺の名前を見てこれはお参りせねばと立ち寄った次第。


お堂の中に入り、手を合わせてお参りしたが凄い弁天様だと感じた。


弁天寺6


弁才天を本尊格で祀るのは珍しい。


日本三大弁天の一つに、滋賀県の竹生島の弁才天が挙げられるが、そこの名古屋別院がこちらのお寺だ。


弁才天のお姿は大まかに分けて2種類ある。一つは腕が2本で琵琶をもった姿。


もう一つは腕が8本で、頭上に宇賀神を頂く宇賀弁才天と呼ばれる姿だ。


辨天寺の弁才天は後者で秘仏となっている。


本尊秘仏宇賀弁才天は、元々は彦根城の城主、井伊直弼公が天守閣に安置し信仰していた尊像で、明治初年に井伊家より竹生島に奉納されたものがこちらで祀られるようになったとのこと。大正の頃に建立したお寺と聞いていたので、本尊は新しいのかと思っていたが少なくとも江戸期のものであると分かった。
 
 
お寺の資料によれば、宇賀弁才天の八本の腕にはそれぞれ持物と呼ばれる宝具を手にしているが、それらは如意輪観音、馬頭観音、準堤観音、聖観音、千手観音、十一面観音、不空絹索観音、白衣観音の八大観音の惣体を表し、各々の誓願を示されたものであるとあった。


これはつまり凄い御力を持っているということになる。八大観音の力だ。

 
資料にはこうもあった。おそらく弁才天に関する経典の一節であろう。


弁才天の御本誓は、もしも貧苦で困り果てた人があって福運を祈る時、

「我もし一、七日の中に其の願を満たさなかったならば、誓って正覚を獲られない。そして若しもこの言が虚妄であったならば、我逆罪を作らずといえども、阿鼻城を家と成し、無量却を経ても仏にまみえない」


弁天さまの言葉を借りればこういうことだろうか。


「貧苦で苦しんでいる人が私に福運を祈る時、1週間以内にその願いを満たすことが出来なかった場合、私は正気ではいられません。そしてもしこの誓いが虚妄であったなら、私の家は八大地獄の様相になりますし、私自身も永遠に仏(如来)には会いません」


福徳貧転の願いが成就できない場合は、弁天様は落ち込みまくって地獄のような状態になる・・・・・・。
 
 
つまり裏を返せば途轍もない弁才天の自信の現れた言霊なのだ。私を信じ、貧苦からの脱出を願うものは必ず成し遂げましょうと言うのである。


真面目にお参りしる人には、御利益がありそうな感じがしたお寺だった。名古屋一の弁天様と呼んでもいいかもしれない。


ご興味のある方は是非お参り下さいませ。




◆辨天寺

住所:名古屋市港区多加良町4-278-1
電話:052-381-2306

1月1日~1月7日 御開帳




2018-02-12

◆犬神様を考える 最終回  ~庶民にとっての氏神とは~

神社の神様の御利益というのは神様の性質に沿ったものだ。しかし、神社によっては、


「本来のこの神様は、恋愛成就が得意分野だと思うけど、商売繁盛や交通安全とかあるなぁ。後付けじゃねぇか、これ?」


と思う事がある。


伊奴神社の御祀神の一柱、伊奴姫神の御利益は子孫繁栄とあったが、手持ちの資料には伊奴姫神と子孫繁栄の接点は分からなかった。


伊奴神社③


昔から犬が多産で仔犬の育ちもいいことから、犬にはお産、子育てに関する霊力があると考えられていた(過去ブログ参照)。


なので、伊奴神社の言う伊奴姫神の御利益については、むしろ昔話の方の犬の王から連想されたものではと思う。


今回のブログを纏めるに辺り、終わり掛けになってそう言えばこんな話もあったなと思い出したことがあった。


伊奴神社から南へ1キロほど行った所に、一体のお地蔵さんがある。街角のどこにでもある小さな石仏だ。


細池地蔵③


名前は細池地蔵。このお地蔵さんには、それを祀った経緯が残されていた。


細池地蔵①


大正の中頃に建立されたお地蔵様。元々この近辺には池や湿地が多く、疫病の流行や、水死などで子供が育たなかった。


それを憂いた古老が地蔵尊を祀った所、事故死や病死が無くなったと云う。


始めてこの看板を見つけた時は「へぇ・・・。」と思っただけだった。


この地域が伊奴神社の管轄内だったと知ったのは実は最近なのだが、そうなると無視出来ない情報となった。

細池地蔵②



子宝、子育てを御利益とする伊奴神社の管轄内で、子供が育たないという真逆のことが起きていたのだ。


このことから、私は二つのことを考えた。一つはやはり伊奴姫神の御利益は子育てとは関係がないこと。


もう一つは、犬とされた神のメッセージではないのか?と言うことだ。


犬ではなく、本来はこの地域の人々にとって祀られるべき氏神なのだと・・・。


人は死ぬと、魂となり山へ帰る。そして魂が何世代も集まると先祖神となり氏神となる。大昔の日本人が考えた神の考え方の一つだ。


神道の入門書的なものには、神道の神は元々は自然から発生したという記述があったが、私たちの身の回りにある神社には自然そのものが神になった神社は殆どない。

 
記紀神話に登場する神様が圧倒的に多いのだ。しかし、神社の見方が分かり、地域に遺る民話を調べていくと、忘れられた氏神、その地域の先祖神の面影が観えることがある。


自然という圧倒的だが、どこかふわっとした神よりも、もっと生々しい一時代を生き抜いた先祖神達の方が、日本の神社の結構な部分を占めるのではと思う。


様々な理由により、犬や羊など動物となってしまった神々、まだ祀られるだけでもましかもしれないが、中には「大蛇と犬の昔話」の大蛇のように完全に忘れられることもある。妖怪・鬼などの中にも零落した私たちの先祖神もいるかもしれない。


神社に興味をもって20年ほど経ったか。調べれば調べるほど神社は興味が尽きない。そして神社によっては私達の、その地域の遠い先祖達の姿を垣間観ることがある。
 
 
歴史は長い。そして勝った者が歴史を作る。勝った者がいれば負けた者もいる。


神社の中には負けた方の壮絶な痕跡を観ることもある。そういう歴史の積み重ねの上に今の自分が繋がっていると考えてしまう。心情的に負けた方に同情し、時には怒りを覚えることもある。しかし、勝った方のお陰で今の日本があるのもまた事実なのだ。


神社とは勝った神、負けた神、そのどちらにもただ感謝して、どうぞ安らかにとお参りすることなのだと思う。




※追記

まだまだ知らないことも多いですが、神社のことが一つずつ分かると、神への敬意と仏の有難さが身に沁みますね。お地蔵さんの慈悲の力は凄い・・・。最後になりますが本ブログの内容は個人的な意見です。


プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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