もみじの記録帳
古き良きものや、日々の気付き、思ったことを気ままに記録しています。
辨財天「なかきよの」◆〆G開始
〜続き

「なかきよの魔法」には幾つか約束事がある。江戸(古くは室町)の人々が誤っていたのが、「スタートする年」だった。当時の風習は、ただ年度が変わる時に毎年行うというものだった。そもそもそれが間違いだったのだ。

「なかきよの魔法」を開始する年・・・。結論を先に言えば、易学で言う所の「一白水星戊子年」つまり、平成20年のネズミ年、今年のことだ。

では、何故今年なのだろうか?それは二柱の神々が関係している。一柱は辨財天、もう一柱は歳徳神だ。歳徳神については本年2月のブログで恵方巻きと一緒に紹介しているので、興味のある方はこちらを見てください。

文字だけでは難しいので、図を用いながら、次回で説明することにする。


辨財天「なかきよの」 〇の発端 
〜続き

事の発端は今から丁度60年前。父が3歳の時の話だ。戦争が終わったばかりの頃まだ貧しい時代だった。元々身体が弱かった父は産声を上げなかったという。医療も今ほど発達していなかった時代である。「この子は生きられるだろうか?」と両親(私から見れば祖父母)は心配していた。そんな時、父の祖父が、変わった事を言った。

「まずは、頑張って3歳まで育てなさい。そこまで育てれば戊子(つちのえね)年が来る。」

困惑する両親。訳を尋ねると、「その時が来たら教えてやる。」と言われたそうだ。

父の祖父は不思議な人だったらしい。今では誰も知らないような古い風習、地元の歴史などよく知っていたそうだ。

やがて3年後、弱いながらも何とか3歳まで育った父は不思議なおまじないを祖父から授かった。それが60年に一度だけ、実行せし者が福徳の宝船を受け取るという、辨財天「なかきよの魔法」、それだったのである。

続く〜






辨財天「なかきよの」話 
なかきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな

という古歌がある。詠み人知らずのこの短歌は江戸時代の庶民の間では知らない人はいないという程有名な歌だった。

この短歌、不思議なことに回文になっている。上から読んでも下から読んでも同じ言葉なのだ。一般的には良い初夢を見る為に、この歌と宝船の絵を書いたものを、年末に枕の下に敷いて寝るというものがある。江戸時代では、年度末になるとこれを書いた掛軸ばっかり売る商人もいたと聞くから、それだけ需要があったのだ。

今でこそ「良い初夢を観るための風習」として僅かに残っているが、昔の日本人がこぞって求めたのには別の理由があった。それは七福神の紅一点、辨財天の御利益を頂こうというものだ。辨財天の御利益は現世利益、即ち金運財運と病気、怪我などの厄除けである。こんな有り難い御利益が頂けるという事で大流行したが、現代では殆ど忘れられてしまった。

理由は幾つか挙げられるが、迷信とか、やったけど御利益なんかないというものだったのだろう。しかし、これを実践した人でとんでもない御利益を貰った人がいたと言う。かの有名な徳川家康だ。家康がこれを実行して観た初夢が、「一富士 二鷹 三茄子」だそうだ。一体、家康と庶民では何が違ったのだろう

謎多き風習、「なかきよの魔法(と呼ぶことにする)」その真実の姿を,、ついに父が突き止めた。父の執筆では辨財天が重要なテーマの一つになっている。辨財天を調べる内、ひょんな事からこの「なかきよの」を調べる事になった。

次回から何回で終わるか分からないが「なかきよの魔法」をこのブログにて紹介することにする。

続く〜



伏見稲荷 無数の社
続き〜
伏見稲荷の山の一部に、不思議な一帯がある。伏見稲荷の管轄外になっている場所で、誰が建てたか分からない社が集中的に固まっているのだ。これは一体何なのか現在調査中だが、足を踏み入れるとそのあまりのメチャクチャ振りに頭が痛くなってくる。

例えば、大きなカエルのオブジェがあったり、半分だけの石の鳥居があったり、慈母観音(子供を守る観音様)の石像なのに、どう見ても嫌がる子供を虐待しているようにしか見えなかったり、極めつけは神社の社名である。「山田太郎神社(名前は覚えてないが、人の名前だった)」と言った、人名がそのまま社名になっていたのだ。

きちんと調べるまで分からないが、ひょっとすると亡くなった人を神として祭るという習慣があるのかもしれない。そう考えると、訳の分からないオブジェもその方が好きなものだったという可能性も出てくる。考えれば考えるほど気になる所だった。

おしまい
伏見稲荷 鳥居について
続き〜
神社巡りを続ける内、鳥居は結界だと体感するようになった。不浄なものが神社に入れないという意味と中の神様も実は鳥居があることによって出にくいという意味がある。

伏見稲荷の風習として願掛けをした人が鳥居を奉納するというものがあるみたいだ。境内の中にも数店舗の小さな鳥居を売っている店があった。また、山の頂上まで無数の鳥居が建ち、その中を歩いていく訳だが、ついに頂上には辿りつけなかった。フラフラになってしまったのだ。

参道脇には沢山の社がある。どの社にも奉納した鳥居が沢山立てかけてあった。鳥居の性質を考えると、神様も大変だなと感じた。それを裏付ける(?)ような新聞記事がとある社前の掲示板に貼ってあった。

数年前、伏見稲荷のとある小さな社が全焼したという記事だ。それによれば、出火した原因はカラスだという。カラスは光るものを集める癖がある。カラスが火のついた蝋燭を銜え、それが元で燃えたというのだ。あちこちに「灯明は点けないで下さい」との看板があったのもそれが理由だった。

この記事、冷静に考えればありえないことだと思う。火の点いた蝋燭が飛行中、消えることなく運ばれたのだ。これは鳥居でガンガラガンに縛られてしまった神様が、鳥居を撤去しようとしてカラスに運ばせたんじゃないかと思う。しかし、思うようにいかず誤って社殿を燃やしてしまったのでは・・・。
そんな気がした。