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2018-01-25

◆犬神様を考える 第4回  ~遺体を分ける意味~

民話(昔話)と言うものは、その人の受け取り方により変わるものだ。


「でたらめだ。」


で終わればそれまでだし、そのまま全て受け入れるだけでは


「よく分からん話だなぁ」


で終わってしまうこともある。


どんな突拍子もない話でも、その話が何百年も残るというのは意味がある。


当初の歴史そのままが昔話になっていることもあれば、古文書に残っていると言っても、人から人へ伝えられた話はオリジナルから変化していることも十分あり得る。


大蛇と犬の昔話を改めて読み返してみると、斬られた頭と体(尾)を、一か所ではなく別々に祀るというのは何とも疑問であった。


また、いくら忠義を尽くした愛犬とはいえ、墓を作るならともかく神として何か所も祀るというのも引っかかる。


遺体を分ける謎、そして何故犬を神に祀り上げたのか?


それを解く切っ掛けとなったのものが、糟目犬頭神社の境内に残されていた。


岡崎市 犬頭神社2


新田義貞の首塚である。


鎌倉時代~南北朝時代に活躍した有名武人の首塚と伝わる祠が、何故か愛知県岡崎市に在るのだ。


次から次へと謎が出てくるが、新田義貞の謎は本筋から外れると思ったので一先ず置いておくが、この「首塚」という言葉から犬の遺体を分けた理由が見えてきた。


それは、特に戦乱の多かった時代に見受けられるが、歴史上の人物で討たれた方の武人達を祀る塚は「首」だけが多いのだ。


首塚を作る場合、討った側が作る場合と、後に討たれた側が首を奪還し作る場合がある。そして首(塚)と胴(塚)を別々の場所へ祀ることも多いのである。


首と胴を別々に葬る。


これはその時の状況により理由も様々だと思う。例えば自刃した殿様の首を家臣が持ち帰り埋めた場合は首塚だけとなろう。敵陣に残った胴体はその近辺で胴塚となる。


しかし、討った側が頭と胴を両方手元にある場合も遺体は同じ場所へ埋めず、首と胴を離れた位置に祀っていたように思う。


平安時代の話で、関東の英雄「平将門公」は戦場で流れ矢に当たり絶命した。後に逆賊として京都で晒し首となったが、将門公の首はうなりを上げ胴がある関東目掛けて空を飛んだという。


その後(所説あり)、岐阜県の上空を通った際、隼人神に矢で撃ち落とされ、落ちた所が後に御首神社として現存している。


この将門公の昔話で首が空を飛ぶのは大嘘!と言うのは簡単だが、この話から当時の人の考え方が見える。


それは殺された方の首と体を分けないと、いつか復活して殺した方に祟るのではないか?


と言うことだ。反魂の阻止なのである。


この地域に残る複数の犬の名がつく神社。これは犬が復活しないように遺体を分けたのでは?と考えた。


今一つの疑問、何故動物の犬を神として祀るのか?という疑問も、こう解釈すれば納得できる。


それは動物の犬ではなく、犬とされた人間だったのでは?と言うことだ。


そうなるとこうも解釈できる。大蛇も実は人間だったのではないかと・・・。


犬ではなく非業な死を遂げた人間であれば、残った方は神として祀ると思えるのだ。


次回はもう一つの昔話「犬頭糸」について考察します。



南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・

阿弥陀如来


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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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