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2017-10-17

◆名古屋城と魔除けについて 第9回(一時閉幕)

◎調べてみたら大変だった。

「田」の字の魔除け・封じの発想が城下町の構想に取り入れられたのでは?という考察を前回したが、考えるうち、こういう意味もあるかもと頭に浮かんだものがある。

 
「田」を分解すると「十」と「□」になる。


「十」は呪い的な要素が古くからあると前回述べた。


海外ドラマの「スーパーナチュラル」というのがある。これは簡単に言えば悪霊や怪物を倒す仕事をしている兄弟の話だが、昔観たその話の中で、悪魔を呼び出すのに、交差点の中に呪物を埋めて呪文を唱えると悪魔が現れるという話があった。
 
 
さすがに西洋魔術まで調べてはいないが、この話は元になった昔話、黒魔術的なものがあるように思う。


日本でも辻には魔物が出ると考えられていることから、洋の東西を問わず「十」という重なる形には、この世とあの世の境という意味があるのだ。


その魔が出る「十」をしっかり囲むのが「□」、合わせると「田」なのである。


名古屋城の城下町に話を戻そう。


名古屋城下地図


名古屋の城下町の様子を描いた地図で最も古いのが元禄7年(1694年)に描かれたこれ。


着目した庶民のブロックを拡大すると・・・

名古屋城下地図部分

きっちり四角になっている。碁盤目というそう。中央に寺社が配置されている事がわかる。


しかし、思うよりは寺社が少ないなと思い、さらに古い地図はないかと調べたら、名古屋城下は大火で燃えたことがあると分かった。それが万治三年(1660年)だ。この時に燃えた寺社が沢山あったかもしれない。


どこかに築城当時の、城下町の様子が分かるものがないかと探したら出てきた。

名古屋城下地図部分2

この地図自体は元文三年(1738年)に描かれたものだが、その地図の中に、「万治の大火」以前の城下の様子が少しわかる地図が書いてあった。築城当時の名古屋城下の様子を調べ、復元して残した人がいたのだ。(どなたか知りませんが、ありがとうございます)


かなりの数のブロック中央に、空き地があることが分かる。これ全て寺社が建っていたと私は思う。
 

大須の寺町、そして一般庶民の住んでいた「田の字の区域」と寺社をもって、古代の名古屋の神の怒りが城にこないように造ったのが城の南側の巨大な魔除け・結界だ。


今回のブログテーマは、書き始めて気づいたが、謎がまだまだ残っている。


名古屋城から見て鬼門や裏鬼門には魔除け目的の寺社があると思うし、城の東にも大須のような大きな寺町がある。この二つは実際に足を使って調べないといけない。城の東の寺町などは、絶対何か意味があるはずだ。


また今回取り上げた城の南側、錦町も探索目的で歩いたことはないので、これも再確認で行かねばならない。


これらを調べて初めて、今回のブログテーマ、名古屋の巨大な魔除けの謎は完結しますが、ちょっといつ行けるか分からないので、今回を持って一時閉幕したいと思います。
 
 
いつか再開します。


とりあえずおしまい。


 
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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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