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2017-10-02

◆名古屋城と魔除けについて 第三回

◎徳川家の霊的権威

「天海僧正は人中の仏である。惜しむらくは、もっと早く相識るべきであった」


と徳川家康に言わせるほどの人物。家康、秀忠、家光と徳川家三代の帰依を受けていたのが天海である。別名、慈眼大師とも言う。


伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)というような大師号というのは勝手に付けれるものでは無く、朝廷から下賜されるものだが、各仏教宗派総て併せて23人しかいない。そういう意味でも天海は名僧であると言える。


徳川の時代は記録の時代とも言われる。それは些細な事でも、朝廷、幕府、民間の村の話まで大量の記録が残されているからだ。そんな記録の時代に生きた天海だが、何故か謎が多い。生まれた年の記録だけでも12も説がある。(天海=明智光秀説もある)
 
 
記録によっては亡くなった年齢が90歳~135歳まであるのだ。天海は東京の上野公園にある寛永寺を創建した。その寛永寺に残る縁起によれば、弟子が天海の出自を尋ねる場面があるが、その質問には答えていない。語らないのだ。


縁起ではその後すぐに霊験談が紹介される。


前半生が謎の多い天海。数ある説の中で最も信憑性が高いと云われる説によると・・・


・1536年会津・高田の葦名氏の一族に生まれる。

・11歳で出家する。若くして諸国遍歴に出る。

・比叡山延暦寺、奈良興福寺、三井寺、足利学校などで学ぶ。

・延暦寺が信長の攻撃により焼失した後は武田信玄に仏法と軍学をもって仕える。

・やがて江戸崎不動院に入り、請われて他の寺の住職も兼ねる。


そして慶長13年(1608年)、徳川家康に用いられる。


この頃、比叡山の僧侶の間で争いが起こり、家康の元へ調停を求める訴えが持ち込まれる。家康は比叡山を統制下に置く好機ととらえ天界を派遣したと云う。以後、天海は家康に重用されるようになる。

天海は類稀な知力と法力をもって徳川家を守護することになる。


当時の噂話でこんなものもある。


徳川と豊臣の最終対決を控えた時期、浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正・真田昌幸、前田利長といった有力大名が次々と亡くなったが、これは天海が呪詛したものだというものだ。

 
ことの真偽はさておき、こんな噂が流れるということは当時の天海を知る人達は、「あの法力ならば、天海僧正の力ならばあり得る」と思っていたから、こんな噂が流れたのだと思う。


次回は天海が具体的に行った政策について触れたいと思います。


不忍池弁天堂

※画像は不忍池の弁天堂
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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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