FC2ブログ
--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2016-10-25

福井の仏像 ~白山を仰ぐ人々と仏たち~ その①

福井市立郷土歴史博物館にて開催中の仏像の展示会を見に行ってきた。

「福井の仏像 ~白山を仰ぐ人々と仏たち~」である。

fukuibutsuzo00.png

今回展示される仏像達の大半は、寺院で祀られているものではない。

嘗ては密教系の寺院で祀られていた仏像が、一向一揆などの争いにより寺が壊され、仏像を助けた人達により埋められたり、あるいは谷底などに捨てられてしまう。
 
それが後に救い出され、地域の御堂や神社で祀られるようになったりしたものが、今回出展された仏様達だ。奈良や京都のような観光寺院でもないため、ふらっと行っても拝観出来ない。
 
今回集まった仏像を全て拝観しようとすると、時間も労力もお金もかかる。この展示会の話しを聞いた時は是が非でも行きたいと思った。


私が訪れた10月21日は、たまたま学芸員の方(図録の解説を書いた方)が薬師如来の講義をしていた。そこで聞いた興味深い話と、実際に見たり、古仏に感じたりしたことを元に、今回のブログに纏めてみることにする。


まず、会場内にずらっと並んだ平安仏の間に入り、集中して拝観していた時、最初に感じたのが「キツイ」という感覚だった。長時間その場にいると結構しんどくなる。

 
それは恐らく展示された全ての仏像が霊木仏だからであろう。霊木仏とは神仏習合の考え方から生まれた仏像で、日本に古くからいる「神」と、大陸から渡って来た「仏」を合わせた仏像のことだ。


もう少し具体的に言えば、荒ぶる神の御魂が宿った木に、慈悲の仏の姿を彫り、仏の御魂を入れ祀ることで荒ぶる神の怒りを抑え、結果的にご利益に変えてしまおうというものだ。

 
だから仏像を彫る前に、「木ありき」が前提であるので、必ずしも造像に向いている木を使う訳ではない。例えば、この観音様。

福井の仏像 観世音菩薩像3

体の一部が欠損していて痛々しい姿だが、首のあたりに着目すると

福井の仏像 観世音菩薩像6

木の節が見える。

福井の仏像 観世音菩薩像1

この観音様は、横から見ると驚くほど薄い。どちらの仏様もお顔や衣文などを見るに、腕のある仏師が彫ったと思える。しかし、あえて節を前面に出したり、不安定な厚みの仏像を彫るということは、四の五の言わず、その木でなければならないという理由があるからだろう。


また霊木像の表現には、影向(ようごう)思想が見て取れることがある。影向とは簡単に言えば、神や仏が人間の前に現れるという意味だ。そんな思想が反映された観音像は、どこかぞくっとする迫力がある。


今回の展示で言えば二体の仏像がそんな感じを受けた。

福井の仏像 観世音菩薩像4

まずはこの十一面観音像。とても美しい姿の仏様だが、注目すべきは頭の上の小さなお顔だ。

福井の仏像 観世音菩薩像5

本来彫られるべきはずの顔が無いのだ。これは木の中から仏が段々と現れてくると言う表現だ。木に宿った日本古来の神が仏の姿として現れるのである。

もう一体はこちらの仏様。

福井の仏像 観世音菩薩2

小ぶりな観世音菩薩像だが、肉眼でもはっきりと確認できる木目や、今一歩こちらに近付こうとする足の表現には、ぞくっと来るものがあった。観音像で片足を少し前に出すのはよく見るが、ここまで生々しく感じた足の表現はちょっと思い出せない。

福井の仏像 観世音菩薩像7


人によっては、この仏像の前に立つと後ろに下がりたくなるのでは?と思えるような迫力がある。


本来、節や洞、朽ちかけた木、雷が落ちた木などが霊木像だと言われるが、今回の展示された仏像を拝観するに、そんな特徴のない綺麗な木でも全て霊木像だと感じた。もっと言えば、平安以前の古い木彫仏(特に密教像)は霊木前提であるように思えた。


そもそも真言宗や天台宗のような密教は、まじないの要素が強い宗教だ。時の権力者が仏教に求めたことは、天変地異や疫病、祟りや障りを齎す神や怨霊の怒りから、国や身を守るためにはどうするか?ということだったと思う。
 

霊木で彫ったと伝わる仏像には、昔話が遺っている場合があるが、それらにはパターンがある。


まず、祟りまくる木があり、地域に災いを齎す。そしてその祟る木を時の有能な僧侶が供養し、観音像や薬師如来を彫り祀る。そして祟りは治まり、今度は大きな力となる・・・と言うものだ。


祟りや障りと聞くと、即答で迷信と答える人がいるが、私は今でもそれは存在すると思う。客商売をしていると様々な話を聞くが、木を切ったことで早死にしたり病気になったりという話もたまに聞くことがある。

 
特に神社のご神木を切った場合は顕著である。また、あろうことかそのご神木を材木にし、何軒かの家の材料にしたが、それらの家に住む人は不幸続きと言った話も聞いたことがある。


また、私は神社巡りも好きで良くお参りに行くが、神社の木の中には、頭を下げるしかないという神々しい木を見ることもあるし、非業な死を遂げた人の伝説がある神社や、古い塚などがある付近に育つ木の中には、恐ろしい姿の木を見つけることもある。

 
話を戻すが霊木で彫られた仏像は、祟りを抑え、きちんと祀れば凄まじい力をもった仏になる。それは密教の力も加わることで時に奇跡を起こす仏像となり得る。まだ庶民の為の仏教がなかった平安や奈良時代の仏教では、一番求められたのがその奇跡的な霊験であった。そのために必要だったのが霊木で彫られた仏像だったのでは?と思います。






スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。