2007-08-03
堅田(かただ)親子 〜湖国の話3〜
光徳寺(骸骨のあるお寺)に伝わる歴史によればこんな話だ。
蓮如上人がいた時代の話。蓮如は比叡山延暦寺の僧兵から親鸞聖人の御真影(親鸞聖人の姿の木彫像)を守る為、当時延暦寺と敵対関係にあった三井寺に御真影を一時的に預けた。落ち着いたら受け取りに戻ると約束し三井寺を後にした。
その後文明十二年(1480年)山科本願寺が建立されて、門徒衆が御真影を受け取りに三井寺を訪れた。しかし三井寺側は御真影を返さなかった。(親鸞の人気は高く、御真影が三井寺にある事で参拝客が増えたから返したくなかったのであろう)門徒宗は約束が違うと食い下がったが、三井寺側はこれを退け、「返して欲しくば、人間の生首二つ持ってこい」と無理難題を言ってきた。困り果てた門徒宗は蓮如に伝えた。蓮如は困惑し日夜心を痛めた。
そんな蓮如の気持ちを察した二人の親子がいた。光徳寺の門徒衆でもある二人、堅田の源右衛門・源兵衛という親子だ。二人は相談し日頃の恩に報いる為、自分達の命を差し出すと決心した。当初、自分の首を先に切ろうと言う父を息子の源兵衛が止めた。親の命を子供が奪う訳にはいかないと言うのだ。話し合いの末、子供の決意が固いと知った父は泣く泣く子供の首を切った。着物の片袖を引きちぎり、それを風呂敷代わりにして包むとそれを持って三井寺を訪れた。驚いたのは三井寺だ。まさか本当に首を用意してくると思わなかったのだろう。父は「持ってきた首は一つだが、もう一つはここにあります。切って下さい」と自らの首をトントンと叩いた。殉教心に感じ入った三井寺の僧侶は、御真影と首を返した。
この事実を後で知った蓮如は嘆き、自らを責めた。そして源兵衛の亡骸を盛大に弔ったと言う。息子の命を奪った父親は諸国巡礼の旅の末、備後国(広島県)で没したと伝えられてる。門徒や信仰の為、同意の上とはいえ息子の命を奪った自分を許せなかったのだろう。僧侶となって旅に出たのだ。
人によっては様々な解釈で受け取られる話だ。否定する人のが多い話だろう。しかし、今観る事の出来る綺麗な白い頭蓋骨からは不気味な感じは受けず、むしろ心から手を合わせたくなる尊いものだった。人の生き様を観た気がした
蓮如上人がいた時代の話。蓮如は比叡山延暦寺の僧兵から親鸞聖人の御真影(親鸞聖人の姿の木彫像)を守る為、当時延暦寺と敵対関係にあった三井寺に御真影を一時的に預けた。落ち着いたら受け取りに戻ると約束し三井寺を後にした。
その後文明十二年(1480年)山科本願寺が建立されて、門徒衆が御真影を受け取りに三井寺を訪れた。しかし三井寺側は御真影を返さなかった。(親鸞の人気は高く、御真影が三井寺にある事で参拝客が増えたから返したくなかったのであろう)門徒宗は約束が違うと食い下がったが、三井寺側はこれを退け、「返して欲しくば、人間の生首二つ持ってこい」と無理難題を言ってきた。困り果てた門徒宗は蓮如に伝えた。蓮如は困惑し日夜心を痛めた。
そんな蓮如の気持ちを察した二人の親子がいた。光徳寺の門徒衆でもある二人、堅田の源右衛門・源兵衛という親子だ。二人は相談し日頃の恩に報いる為、自分達の命を差し出すと決心した。当初、自分の首を先に切ろうと言う父を息子の源兵衛が止めた。親の命を子供が奪う訳にはいかないと言うのだ。話し合いの末、子供の決意が固いと知った父は泣く泣く子供の首を切った。着物の片袖を引きちぎり、それを風呂敷代わりにして包むとそれを持って三井寺を訪れた。驚いたのは三井寺だ。まさか本当に首を用意してくると思わなかったのだろう。父は「持ってきた首は一つだが、もう一つはここにあります。切って下さい」と自らの首をトントンと叩いた。殉教心に感じ入った三井寺の僧侶は、御真影と首を返した。
この事実を後で知った蓮如は嘆き、自らを責めた。そして源兵衛の亡骸を盛大に弔ったと言う。息子の命を奪った父親は諸国巡礼の旅の末、備後国(広島県)で没したと伝えられてる。門徒や信仰の為、同意の上とはいえ息子の命を奪った自分を許せなかったのだろう。僧侶となって旅に出たのだ。
人によっては様々な解釈で受け取られる話だ。否定する人のが多い話だろう。しかし、今観る事の出来る綺麗な白い頭蓋骨からは不気味な感じは受けず、むしろ心から手を合わせたくなる尊いものだった。人の生き様を観た気がした

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