2017-02-20

◆新・所謂「恵方巻」について 最終回

では私が考える恵方巻の所作について解説することにする。


◎「お供えする」ということ


①毎年変わる恵方には、八王子神の母親である歳徳神がいるので、食べる前にまずは「お供えする」。


②恵方に向けて何か適当な大きさの台を用意し、食べ物を供える。巻き寿司でなくても構わない。


③それでも巻き寿司を供えたいのであれば、食べやすいように一口大に切って供える。これは相手が女神だから。大口を開けては食べないと思う。


④水や酒、塩なども供える。供物は相手(歳徳神)のことを第一に考える。何をお供えすれば喜ぶだろうか?と考えて下さい。


⑤例えば炊いたご飯を供えるなら、お味噌汁やおかずもあった方が良いでしょう。


⑥基本お供えは何でも良いと思う。それが手作りでも買ってきたものでも、そこに「お祭りを行えることが有り難い」という気持ちがあればどちらでも構わない。正し肉や魚は避けて下さい(豹尾神が怒ると思う)。


⑦設置が完了したら、「昨年も無事過ごせました。ありがとうございました。来年も無事過ごせますように」と合掌して祈る。


⑧お供えする時間は、人がだいたい1回食事にかける時間を目安で。終わったら下げる。下げたものはご家族で頂いて下さい。



というものだ。お願い事はしてはならない。あくまで八王子神の障りを受けぬよう、無事をお祈りするのだ。下げたお供えを頂くことは歳徳神と同族になるという意味合いも兼ねている。
 
 
恵方巻の所作のルーツについては諸説あり謎が多いが、原点はこうした歳徳神への感謝であると思う。


海苔巻きは後付けだと思うが、「だまって食べる」というものは、分らんでもない。昔、とある祈祷を行うお寺の方に話を聞いたことがあるが、仏様に願掛けをした場合は、成就するまで人に喋ってはならないということだった。多分そんな理屈なのだろう。

 
ただ、歳徳神にお願いするのはあくまで願掛けではなく、一年障りなく過ごせますようにということなので、下げたお供え物を「だまって食べよ」ということにはならないと思う。



◎最後に・・・。

私が出した「恵方巻の所作」に関する結論は、あくまで緊急時に備えての防衛策である。緊急時と言うのは、方位を侵すことによって被る障りを知っていながら、そうせざるを得ない場合の事だ。これについてはこのまま続けて上手く纏める自信がないので、また何時か(その時期が来たら)このブログにでも書こうかなと思う。
 

歳徳神へのお供えをするこの方法。正直なところ効果というかご利益は薄いと思う。何故なら神の力や性質は、祀られている規模、お参りする人の数により変動するからだ。
 
 
例えば嘗ては荒ぶる強烈なる疫病神であった牛頭天王も、全国で3000社祀られ、京都や愛知県では今尚大規模な祭りを続けていることで、だんだんと怒りは沈静化し、祟り神のお仕事をお子さん達に譲っている。(牛頭天王が完全に忘れられるとまた祟り神として復活するかもしれない)

 
それと比べて歳徳神は殆ど忘れられ、この女神を祀る神社も私の知っている範囲だと、京都の神泉苑くらいしかない。

 
神泉苑
※画像は神泉苑のHPより。歳徳神を祀る社。台座ごと動くようになっている。

牛頭天王を祀る八坂神社や、八王子神を祀る八王子神社の方が遥かに多いのである。そう考えれば歳徳神の力は、今は風前の灯と言えるかもしれない。


最後に繰り返して言うが、恵方巻の所作を今後もし行うのであれば、歳徳神にお供えをして、お礼をいうことが大切だ。そんな気持ちで行う日本人が増えれば増えるほど、歳徳神の力はもっと強くなって行くと思います。



おしまい。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・。



※神泉苑はこちら







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2017-02-18

◆新・所謂「恵方巻」について 其の⑥

高島易断の小冊子を開けると、この八王子神の紹介が記されており、その神々が今年はどの方位にいらっしゃるかも一目で分かるようになっている。それが、「方位吉凶図」と呼ばれるものだ。


吉凶図


人は持って生まれた星の影響を受けるとされている。それが一白水星から九紫火星まで9種類あり、誰でも何かの星に当てはまる。方位吉凶図は自分の運勢が勢いがあるか、衰運か、どの神の影響を受けるかなども分かるようになっている。


易学では八王子神の位置をまず調べることが大事になるが、それと同時に「暗剣殺」や「五黄殺」といった凶方位、そしてこちらも相当恐ろしい荒ぶる神、「丑寅の大金神様」の位置を知ることも重要になる。今回のブログテーマが落ち着いたらまた紹介するかもしれない。


八王子神などの祟り神や暗剣殺などの凶方位は、前回の八王子神の解説のように、特に一泊以上の旅行や土地を触る時には注意しなければならない。長くなるので具体的なことは控えるが、長年調べてきた結論は「方位の神々の障り」というものはどうも存在するようである。


図のように八王子神は各方位に散らばっているが、実はそれ以外に、八王子神の母親神も方位吉凶図には記されている。それが恵方に必ずいらっしゃる「※歳徳神(としとくかみ」だ。この方は牛頭天皇の奥さまでもある福の神なのである。

 
ここで、いよいよ恵方巻に話が戻る。


今日の恵方巻の所作を見るに、


・毎年変わる恵方に向かって海苔巻きを食べる。
・黙って食べる
・商売繁盛家内安全など願い事を頭に浮かべる


とするようだ。しかし、この所作には肝心要の部分が欠落してしまっている。


それは恵方に必ずいらっしゃる「歳徳神」の存在をすっかり忘れてしまっているのだ。

 

歳徳神は福の神である。そして恐るべき牛頭天王の奥様であり、荒ぶる八王子神達の母親である。結論を先に言えば、恵方巻の所作を行う最大の意味は、八王子神からの障りを受けぬよう、無事に一年過ごせるよう、八王子神達の母親にお願いすることなのである。商売繁盛や家内安全といった願い事をするために行うというのは、筋が違うのだ。


故に今世間で行っている恵方巻の所作は、全く意味がないのである。


次回は私が考える、恵方巻の所作を紹介し、完結とさせて頂きます。



 続く~


※歳徳神・・・玉兎集では波利采女(はりさいじょ)とも言う。

2017-02-15

◆新・所謂「恵方巻」について 其の⑤

南無観世音菩薩 南無観世音菩薩 南無観世音菩薩・・・

ということで、いよいよ八王子神の皆様にご登場願います。謙虚な気持ちでお読みくださいませ。今回は高島易断(新聞社にもよるが、新聞を年間購読しているともらえるもの)を元に、我が家で伝え聞いた話を付け加えてご紹介致します。

29暦
※参考資料です。



◎八王子神

①太歳神(たいさいしん)

四季の万物を司る吉神。この神のいる方位の建築・移転・商取引・結婚など建設的な事業は吉。ただし樹を切るのは凶。


八王子神の中で、唯一福の神に近い神。次回紹介すますが、母親の神様の性質に近いと言えます。とはいえ、禁忌を犯すと敵に回ると思います。



②大将軍(だいしょうぐん)

軍人の神様で気が強く、万物を殺伐する大凶神。この方位に向かっての建築、旅行などは災難を受けるという。


八王子神の中で、おそらく最も強い祟り神。昔の人も別格と考えていたようで、京都の風水上の重要地点には今でも祀られていることがある。北野天満宮の近くにある大将軍神社は有名。平安時代に作られた重要文化財の大将軍神像が数十体祀られており、館内には大将軍立体曼荼羅が構築されている。

文化財として見れば素晴らしいが、およそ見てはいけないものだと思うので、興味本位では行かない方が良いでしょう。過去に一度お参りに行きましたが、フラフラになりました。それでも行きたいとおっしゃる方は、この神社の後は必ず東寺の立体曼荼羅のある講堂に入り、お参りすることをお勧め致します。



③太陰神(たいおんじん)

太歳神の后妃と言われる。凶神であり、この方位に向かっての縁談、出産などは凶とされる。


新婚旅行で知らずに太陰神のいらっしゃる方位へ行き、そこでハネムーンベイビーが出来たとすると、その子供は成長すると「火付け・盗賊・人殺し」になると伝え聞きました。恐ろしいことです。



④歳刑神(さいけいしん)

刑罰を司る凶神。この方位に向かって種まき、伐木、土を動かすことは凶とされる。


補足すれば、土を動かすというのは、思うに家を建てるなどする時に、大きく土を掘ること。木を切ることは木の命を奪うという意味もありますが、神は木に宿るので神を傷つけるという行為にあたるということでしょう。



⑤歳破神(さいはしん)

太破神の反対側に位置する。この方位に向かっての普請、土を起こすこと、移転、結婚、旅行等は凶とされる。


土を起こすとは、土を動かすと似ていますが、個人的には個人レベルで出来る穴掘り、小規模な範囲の土いじりかと思います。この神様のいる方位も旅行は×とされていますが、日帰りなら問題はありません。



⑥歳殺神(さいさっしん)

もっぱら殺伐を司る凶神。この方位に向かっての結婚、旅行、建築、金談は忌むべきとされている。


「殺」という名前をもった神様。名前からして恐ろしい。旅行×という神様は原則一泊以上の旅行は注意せよということ。「金談」という言葉から推測するに、辿っていくと古代の日本の葬られた神も習合していると個人的には思います。



⑦黄幡神(おうばんしん)

土を司る凶神。この方位に向かっての建築・門づくり・井戸掘りは凶とされている。


どの神の障りも、遠出や、建築、土を掘る行為に注意せよと書いてあることが多い。土には土地の神が、建築に用いる木にも神が宿ることがあるからだ。そう考えると神道の考え方も陰陽道には入っているのかもしれない。



⑧豹尾神(ひょうびしん)

黄幡神の反対方向に位置し、不浄を嫌うとされている。家畜類を求めることは凶とされている。


八王子神の中で、おそらく最も足の速い神。まさに神速。動物を虐待している人間を見つけると特に腹を立て、祟りまくる。その足の速さから敵に回ると障りが来るのも早い。



簡単ではありますが、・・・というのが八王子神です。


長くなりましたので、次回は方位を踏まえて八王子神について補足説明したいと思います。恵方巻の話、難所は越えましたがまだまだ油断できません。ご興味のある方は次回更新をお待ち下さいませ。


南無地蔵菩薩 南無地蔵菩薩 南無地蔵菩薩・・・。


お地蔵さん

画像はお地蔵さん。ネットより




2017-02-14

◆新・所謂「恵方巻」について 其の④

前回の最後で、牛頭天王を祀る、正確に言えば嘗ては祀られていた神社を紹介した。しかし京都の八坂神社や愛知県の津島神社に行っても、御祀神は須佐之男命で牛頭天王の名前は出てこない。
 

これは、明治の廃仏毀釈や神仏分離令の影響で、本来は牛頭天王であった御祀神が、明治政府の判断で入れ替わって(追い出されて)しまったのだと思う。祇園の方の八坂神社や津島神社の社歴を読むに、はっきりしない箇所もあるが、どちらも平安頃には主祀神を牛頭天王として祀ってきたようである。


平安時代と言えば、当時の朝廷側と密接に結びつき、国の運営に影響を及ぼしていたのは、神道よりも仏教であり、陰陽道であった筈だから、その点から考えても両社で祀られていたのは神道の須佐之男命ではなく、やはり牛頭天王やその奥様、そしてご子息達の八王子神が中心であったのは間違いないと思う。


その当時から人々はどう牛頭天王を思っていたかは、現在の祇園祭の規模・歴史から見ても窺い知れる。


1000年続き、京都をあげて1カ月の長期に亘り開催される祭を見るに、その発端・背景には牛頭天王に対する「畏れ」があるように思う。最大限のおもてなしなのだ。

また、津島神社の解説を読むに、天王社は全国に3000社あるらしい。そのすべてが牛頭天王を祀っていると考えると、いかに昔の人々が疫病神を恐れたか、そして同時に牛頭天王がいかに強烈無比な祟り神であるかがよく分かるというものだ。

 
さて、牛頭天王の話はこの辺りで一息つくとして、次にその御子息達についてご紹介してみよう。八王子神の皆様は、これまた大変強烈な、誠に恐るべき荒ぶる神々である。


陰陽道や今日の易学に登場する八王子神(八将軍とも云う)については、先に紹介した玉兎集にも詳しく書かれていたが、ちょっと掘り下げるのも勇気がいるので、高島易断に書いてあった解説を元に少しだけ紹介します。


今日では、牛頭天王に変わって禁忌を犯す人間に祟りまくる凄まじい神々ですので、ここから先を読まれる方は、謙虚な気持ちでお読みください。「そんなもん、おれへんわ!」とか言葉に出したら最後、何が起こっても当方は一切責任を持ちませんのであしからず・・・。神々を試すような不敬なことは絶対にしないで下さいませ。


それでは敵に回したら最後、命が危うい恐るべき神々、八王子神の皆様をご紹介致します。恵方巻について解説しようと何の気なく始めてしまいましたが、気付けば後には引けない、絶対に避けては通れない展開になってしまいました。


南無大聖不動明王 南無大聖不動明王 南無大聖不動明王・・・。



不動明王

※東寺のお不動様 二度目のご登場と相成りました。
2017-02-09

◆新・所謂恵方巻について 其の③

では次に「簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう:以下、玉兎集)」における牛頭天王縁起について触れてみることにする。かなり詳細に書かれてあり、全て紹介するのは大変なので、「備後国風土記」との違う箇所を挙げてみる。話の筋はだいたい同じなので、おそらく玉兎集の牛頭天王縁起は、備後国風土記を基本としていると思う。


◆「玉兎集版:牛頭天王縁起」の相違点

◎序文がある

北天竺の摩訶陀国の霊鷲山(りょうじゅせん)の東北、波尸那城(はしなじょう)の西にあたる吉祥なる天の下に王舎城という都城があり、その大王を商貴帝(しょうきてい)と言った。

商貴帝は天竺の神々の王である帝釈天に仕え、天界に住んでいた。この時、商貴帝は諸々の星の世界の監督目付の仕事を帝釈天から授かり、世界を飛び回っていた。その時の名を天刑星と言った。

やがて天刑星は天界を離れることとなる。今度は人間界に転生し、王舎城の大王、商貴帝になったのだ。こうして地に下った天刑星であったが、その後、名前を牛頭天王と改めた。鋭く尖った二本の角、黄牛の面貌をした牛頭天王の姿はまるで人を傷つけ、食らうことを生業をする夜叉のようであった。

しかし、そんな恐ろしい姿からは想像できなかったが、国を治めるその姿は素晴らしかった。国民は富み、国は豊かに栄えていた。国民は皆幸せであったが、由一の心配事は牛頭天王のその恐ろしい容貌のため、妃がいないことだった。

そんなある時、牛頭天王の元に帝釈天の使いの青い鳥が現れ、海の向こうの龍宮にすむ三女が、あなたの妻になると伝えた。これに喜んだ牛頭天王は嫁探しの旅に出た。





◎巨旦との戦い

以後は備後国風土記をベースにしている。宿を断った巨旦(こたん)、逆に宿を提供した蘇民、数年後、蘇民一家以外皆殺しという話だ。

しかし、かなり風土記と違う箇所も多々ある。それを挙げてみよう。


①宿を借りに行った巨旦は人間ではなく、人々を苦しめる巨旦大王という鬼の王で、その国民は全て魑魅魍魎の類だった。

②宿を探す牛頭天王へ「蘇民なら泊めてくれる」と促した女性がいた。

③龍宮の姫と結婚し、八柱の子供(八王子)を授かった牛頭天王は、それぞれの子供たちに軍備を整えさせ、巨旦の住む鬼の城 に襲撃をかける。

④牛頭天王と八王子の襲撃を知った巨旦大王は1000人の僧侶の力を借り結界を貼るが、一人が居眠りしていたので、結界が一部綻び、そこを突かれたことで侵入を許し絶滅する。

⑤牛頭天王を泊めた蘇民一家と、蘇民を案内した女は助かる。後は全滅。女は「急々如律令」という札を牛頭天王から得ていた。

⑥牛頭天王は巨旦の躰をバラバラ(五つに分けた)にし、五節句に配当し巨旦調伏の祀りを行った。

そして数年後、長者となり大きな屋敷を建てた蘇民将来は、牛頭天王と八王子が来るのを待っていた。そして蘇民の家に挨拶に来た牛頭天王達を迎え入れた蘇民はこんな話を牛頭天王から聞いた。



◎五節句の意味


①牛頭天王は「末の世には、自分は疫病の神になり、八王子も諸国を暴れ回るだろう」と伝える。


②「末法の世(仏の教えがすたる頃)、人々は三毒に侵され、世は乱れ、寒熱二病を受ける。この病は牛頭天王と八王子の障りである。それを逃れたいのなら蘇民将来の子孫であると述べよ。そして障りを受けたくなければ五節句をしっかりと執り行い、二六の秘文(何かは不明)を守って厚く信敬するように」と伝えた。



③牛頭天王は蘇民に五節句の意味を伝えた。それは・・・


・1月1日の紅白の鏡餅は「巨旦の骨肉」

・3月3日に供える蓬の草餅は「巨旦の皮膚」

・5月5日の菖蒲のちまきは「巨旦の髭と髪」

・7月7日の小麦の素麺は「巨旦の筋」

・9月9日の黄菊の酒は「巨旦の血脈」


であるという。また蹴鞠の鞠は「巨旦の頭」、的は「巨旦の目」、正月の門松は「巨旦の墓」であると蘇民に伝えた。





◆ここまでを考える。


玉兎集においては、牛頭天王は祟り神になる前は偉大な王であったこと。巨旦が鬼の王であったことなどが違う点だ。これらを読むに、「牛頭天王は偉大であり、恐るべき神である」ということを読んだ人に分からせるよう、畏敬の念を抱かせるように書き込まれたのではと思える。

しかし、ちまきや鏡餅が、牛頭天王に殺された巨旦の躰だったという箇所は寒気が走る。

巨旦の躰の一部を模した供え物は、牛頭天王への感謝の気持ち、相手が喜ぶお祭りであり、そのお供えを頂くことは牛頭天王と、それを供えて祀った人間は同族ですよという解釈なのだ。だから、疫病は来ないでくださいという意味なのである。


かくに恐るべき牛頭天王であるが、この神を祀るのが、祇園祭で有名な京都の八坂神社、津島祭りで有名な愛知県の津島神社だ。そして牛頭天王の御子息である八王子は、八王子神社のことなのです。





続く~

南無観世音菩薩 南無観世音菩薩 南無観世音菩薩・・・。


聖観世音菩薩坐像

画像は観音様です。ネットより


2017-02-04

◆新・所謂恵方巻について その②

◎牛頭天王とは?

牛頭天王とは大陸から渡って来た謎多き神である。もともと日本の神様ではない。前回取り上げた有名陰陽師、安倍晴明が書いたとされる「簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)」という本があるが、牛頭天王に関する話はこの本に詳細に書かれている。

 
しかし、この本が書かれたのが平安~鎌倉と言われているが、牛頭天王の話はもっと古い本にも記載されている。奈良時代に書かれたという「備後国風土記(びんごのくにふどき)」だ。
 
 
まずはより古い備後国風土記より、最も一般的な牛頭天王の昔話を紹介したい。


◎牛頭天王縁起

その昔、北の海にいた武塔天神(むとうてんじん:牛頭天王の別名)という疫病神が、南海の神の娘のもとに求婚に出かけた。その途中に日が暮れて来たので、武塔天神は人の姿になり、将来という名の兄弟に一夜の宿を求めた。

兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しく、弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福であった。武塔天神をもてなしたのは兄の蘇民将来だった。弟の巨旦将来は武塔天神の身なりをみて拒絶したのである。

武塔天神が宿を後にして数年後、結婚された武塔天神は八人の子を引き連れ、再び蘇民将来の家へ訪れた。何でもあの時宿をかしてくれた蘇民にお礼がしたいとのこと・・・。

武塔天神は蘇民に聞いた。

「お前の子孫はおるか?」

「妻と娘がおります」

と答える蘇民。武塔天神は、

「茅の輪を(家族全員に)腰につけさせよ」

と言った。その夜のこと、突如疫病が村を襲った。家の中でじっとしていた蘇民達。外からは悲鳴が聞こえた。翌朝、様子を確かめようと外に出た蘇民一家が目にしたものは累々と横たわる死体であった。

蘇民一家を除き、村人、家畜に至るまで全滅であった。

この時、武塔天神は「自分は速須佐之男神(はやすさのおのかみ)である」と正体を明かし、もし疫病(厄神)がまた襲ってきたら、いつであれ「蘇民将来の子孫」と唱えて腰に茅の輪をつければ、疫病から免れるであろうと教えたと云う。




◎ここまでを考える

恐るべき話である。牛頭天王が宿を借りたいと言った時、断ったのは兄の巨旦だけである。他の村人には何ら罪はない。しかし、牛頭天王からすれば、自分をもてなした蘇民一家以外は皆殺しに相当する罪だという認識だったのだ。
 

ここで興味深いのが牛頭天王(武塔天神)の正体が「速須佐之男神」であるという箇所だ。この神様はご存知の方も多いが、天照大神の弟、須佐之男命(すさのおのみこと)のことだ。
 
 
私見を述べれば、牛頭天王と須佐之男命は本来別々の神様である。何故同じ神だとしたのかは神仏習合という考え方があったからだ。この当時、様々な神や仏が合体したことがあった。仏教の仏と、神道の神が同じ存在であるとして整理されたのである。
 
 
牛頭天王と須佐之男命の共通項は、どちらも「荒ぶる神である」ということだ。神仏習合の考えの元、性質の似ていた(と考えられた)二柱の神同士が、同じ神だとされたのだと思う。

 
ただ、須佐之男命も確かに荒ぶる厳しい神様であるが、関係ない人間まで皆殺しにするほど恐ろしい存在とは思えない。また古事記を読んでも須佐之男命に八人の子供がいるという記述もない。故にこの縁起は須佐之男命ではなく、元々は牛頭天王の縁起だったと思う。
 
 
最後に、牛頭天王が蘇民に教えた「茅の輪」について補足すると、実は今でもこの風習は残っている。

蘇民将来ちまき1


たまによそ様の家の玄関先に「蘇民将来の子孫也」と書かれた注連縄をつけているのを見かけるが、これは牛頭天王縁起より始まった厄除けのおまじないである。この注連縄をかけることは、厄神からすれば


「ああ、ここの家は、牛頭天王を泊めた蘇民の子孫か。ならば見逃してやるか」


となり、災難を避けることが出来たと信じられた。

蘇民将来ちまき2


今では知らない人も増えたが、昔はこの注連縄を掛ける家があると、両隣の家も慌てて同じ注連縄を掛けたそうだ。厄神が両隣に移動したら「たまったものではない!」という発想だったのである。

続く~

※次回は簠簋内伝金烏玉兎集についてなるべく簡潔にして紹介します。



南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・

2017-02-03

◆新・所謂「恵方巻」について その①

昔、このブログで恵方巻についての話を挙げたが、どうも消してしまったようなので、新たに学んだことを加えて再考してみます。


恵方巻の発祥は、私が聞いたところによると昭和になってから関西の方の寿司屋さんが、バレンタインのチョコレートのように、自発的に始めたものとのこと。


歴史的には巻き寿司を食べるという習慣は近年だ。しかし、恵方に向けてという行為、この不思議なお呪(まじな)いに関しては意味があると思う。


今回は、正しい恵方巻の所作について、我が家に伝わる話と、私が学んだことを結んであくまで私が導き出した答えを紹介します。




まず、恵方に向けてのこのお呪いはの起源は仏教でも神道でもない。平安時代に盛んになった陰陽道(おんみょうどう)の発想だ。


陰陽道と言えば安倍晴明が有名である。小説や映画やドラマの影響で、妖怪・悪霊を封じたり、戦うというイメージが先行しているゴーストバスターズ的な陰陽師ではあるが、その思想の核になっているのが暦である。
 
 
陰陽道では、人の回り、東西南北といった方位には人間の運命に左右する様々な神々がいると考えた。神々とは福の神もいれば災いを齎す祟り神もいる。易学を少しだけ紐解けば、人の回りにはこんなにも祟り神がいるのか?と驚くほど実は多い。

 
陰陽道では、福の神もそうだが、それよりもむしろこの祟り神の年度ごとに変わる配置を調べ上げた。どの祟り神が今年は何処にいるか?そしてその祟り神達の性質を学び、人が行動を起こす時の目安とした。
 
 
祭祀や建築、旅行などなど普段の生活の一部に取り入れていたのである。




恵方巻の真の姿を知るには、まずこの祟り神のことに触れねばならない。陰陽道はやがて高島易断などの易学に繋がっていくが、この易学の中に登場する神々の中で、超弩級かつ大激烈、敵に回したら命が危うい恐ろしい神の筆頭が、牛頭天王(ごずてんのう)である。そして続くのがその息子さん達である、偉大なる荒ぶる神々八王子神だ。

 
既に今、こうして文字に起こすだけでも体調が悪くなりそうなので、謙虚な気持ちで紹介します。これをお読みの皆さまもそんな気持ちで読んで頂ければ幸いです。



南無大聖不動明王 南無大聖不動明王 南無大聖不動明王



続く~


不動明王

※画像は不動明王 ネットより




2017-02-01

節分と鬼

2月3日は節分。我が家では、豆撒きはやったりやらなかったりだが、もし豆撒きをする場合は、祖父母の代から言ってはいけない、厳禁と叩き込まれている言葉がある。それが、
 
 
「鬼はそと」
 
 
だ。祖母は三河の出身であるが、その地域ではこの言葉は「貧乏になるおまじない」と言われている。
 
 
この解説は長くなるので割愛するが、そもそも「鬼」とは何であるのか?
 
 
桃太郎に滅ぼされた鬼の頭領、温羅(うら)、源頼光に討たれた酒呑童子(しゅてんどうじ)、鬼女と呼ばれた戸隠の紅葉・・・。
 

歴史に名を遺した鬼たちは凶悪な存在と知られているが、その鬼たちの住んでいた土地では、地元の人達に今尚愛されている鬼も多い。一言に鬼=悪とは断定できないのである。

 
現に名古屋の大須観音や笠寺観音の節分の行事では、「鬼はそと」は言わない。奈良の元興寺、同じく天河弁財天社では「鬼はうち、福はうち」と言う。
 
 
天河弁財天社では節分の祭りを「鬼迎え神事」と呼ぶそうだ。天河では鬼は大いなる御宝を持ち、物事を正しく見ることが出来る存在であると云う。
 
 
埼玉県の鬼鎮神社では「福はうち、鬼はうち、悪魔そと」と言うらしい。鬼と悪魔は別物なのだ。
 
 
鬼に纏わる昔話も多い。東北の方では節分で鬼を招き入れたら村一番の長者になったというものまであった。


鬼の本

鬼は零落した神とも言える。全てとは言わないが、我々一般庶民の忘れられた先祖神である場合もあると思う。


そう知った時、節分の行事が迫ると、どこか鬼のことを考えてしまう。
 
 
私も気付けばすっかり「鬼」に傾倒してしまっていた。今ではなんとかして鬼の名誉挽回も発信していけたらなぁと思います。
プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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