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2016-10-26

福井の仏像 ~白山を仰ぐ人々と仏たち~ その②

今回の展示会ではいろいろと考えさせられたが、その中の一つに五智如来像があった。この仏様は2015年の5月に福井の秘仏巡りツアーに参加した時にお参りした。

その時の写真がこちら。

大日如来修復後

まさかまたこうしてお姿をお参り出来るとは思わなかったが、五智如来とは画像の大日如来を中心とした阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、宝生如来の五つの如来のこと。

この大日如来像は平安時代のもので、現在の姿は修復されたものである。修復前の姿がこちら。

大日如来修復前

比べると全然顔が違う。これは平安時代に作られた仏様が、江戸期に修理された際、顔が変わってしまった例だ。これを調査した結果、江戸時代の直しの下に平安時代の顔があることが分かった。


今回の展示会の図録には、その時の修復の様子が載せられていた。


福井の仏像 釈迦如来2

こちらが同じ五智如来の一つ、釈迦如来像だが、江戸期の修復履歴があるらしい。


これを先の大日如来と同じく、丁寧に調べたら、やはり顔の下に平安時代の釈迦如来のお顔があった。


福井の仏像 釈迦如来3

お化粧のパックみたいにズルッと剥ける感じだ。

福井の仏像 釈迦如来4

これが剝がされた江戸期の修復部分。顔や体の部分までごっそり紙や漆で盛られていた訳である。

福井の仏像 釈迦如来1

で、こちらが出てきた平安時代の姿を補修した現在の御姿。いかにも古像という雰囲気だ。

今回展示こそなかったが、この日参加した薬師如来をテーマにした講義の中で、五智如来の修復と同じケースの薬師如来が、やはり福井のとあるお堂にあるとの話があった。

福井の仏像 薬師如来3

赤・青・金色という目に厳しい配色の薬師如来像だ。

この像も、直した箇所の下には古い顔があると地元の人達に伝えた所、「ならば本来の姿にしたい」との意向を受け、現在表面の漆を剥がす作業をしているとのこと。

福井の仏像 薬師如来2

これが修理中の写真だが、もう全然違う。元の方が遥かにカッコイイ。


講義の中で「なるほど」と思ったのは、解体修理して判明したが、造像に用いられた木が雷に打たれた痕跡がある木材を使っていたことだった。この薬師如来像も霊木像だったのだ。


また、この修理中の薬師如来像がある地域は港町、海岸沿いであるが、この海岸沿いには薬師如来を祀るお堂が他にもいくつかあるらしい。古くからの港町に薬師如来像が多いのは、外からくる災いを退ける意味があったのかもというお話だった。


これはつまり、薬師如来自体が病気を治すご利益があるが、昔は病気=厄神や怨霊のせいと考えられていたので、それらを封じる、退ける力をもっていたのが薬師如来と考えられていたからだ。


話を戻すが、どちらの仏像も江戸期の修理の折、顔や姿をすっぽり隠すような形で手直しされていた。


こう言った直し方の例は地方にしかないのかなぁと思ったが、帰宅後に京都の超有名寺院でも似たような例があったと思い出した。京都駅から五重塔が見える、教王護国寺、所謂「東寺」の宝物館に祀られる大きな千手観音像だ。


東寺千手観音2

春・秋の一時期しか公開されていない宝物館の2階にある、像嵩5メートルを超える素晴らしい千手観音像(重要文化財)だ。個人的には多くの仏像が遺る東寺の中で、一番好きな仏像だったりする。


実はこの千手観音、元は宝物館ではなく、境内にある食堂という建物の中に祀られていたが、昭和5年に火災にあい千本あった手は焼失し焼けただれてしまった。

燃える前の姿が蔵書にあったので拝借するが、こんな感じだった。

東寺千手観音1

この千手観音、東寺に残る古文書と照らし合わせることで、過去に何度か修理されていることが分かった。

①900年頃に完成してから30年ほど後に、足元が損傷し修理。

②元久元年(1204年:鎌倉時代)に2年をかけて修理

③嘉禄3年(1227年)7月7日、千手観音転倒(おそらく修理)

④延宝8年(1680年:江戸時代)

⑤天保2年(1831年)

⑥蔓延元年(1860年)


また怪我の功名ではないが、炭化した部分を丁寧に調べることで、顔が江戸期の顔、鎌倉期の顔、そして平安の顔があったと分かった。福井のパックされたような仏像と同じような直し方がしてあったのだ。千手観音像は修復の際、どの時代の顔にするか議論し、結果的に現在拝観できる、造像当初の平安の顔になった。


都には当然、地方とは違い腕の良い仏師がいたし、官寺である東寺には豊富な資金力もあったと思う。しかし何度かあった修理の機会ごとに、少なくとも2回は顔を全て隠すような修理をした。平安時代の顔を活かした修理も充分可能であったにも関わらず、あえてそれをしなかった。

 
これは、千手観音を彫った木が強力な巨大な霊木であったので、その強すぎる力を少しでも抑えるように顔を新たに覆ったのではと思う。
 
 
私はまだお参りしたことがないが、関東の方には「覆面観音」という平安時代の千手観音像がある。これはあまりにも力の強い仏像で、人が挑発するような行為をすると容赦なく仏罰が当たる為、その力を抑えるために仮面をつけたという。今でも仮面の下のお顔は公開していないようだ。これは千手観音ではなく、彫られた霊木の怒りによるものだと思う。

覆面観音
(画像はネットより)


この話を踏まえて考えると、東寺の千手観音像や、福井の薬師如来像や五智如来像のように、元の姿が見えないようにパックする直し方の真意は、「全部包み隠した方が安全ではないか?」という発想があったからだと思う。


ひょっとしたら、全てを包み隠さずにはおられない、何か事件があったのかもしれない。


展示会場で平安当時の姿に修復された仏像は、とても迫力があった。


江戸時代にこの仏像の修理をした、当時の仏師の心境を考えると、今の姿よりも痛みもあった筈だから、更に畏れ多い仏像に見えたのでは?と思います





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2016-10-25

福井の仏像 ~白山を仰ぐ人々と仏たち~ その①

福井市立郷土歴史博物館にて開催中の仏像の展示会を見に行ってきた。

「福井の仏像 ~白山を仰ぐ人々と仏たち~」である。

fukuibutsuzo00.png

今回展示される仏像達の大半は、寺院で祀られているものではない。

嘗ては密教系の寺院で祀られていた仏像が、一向一揆などの争いにより寺が壊され、仏像を助けた人達により埋められたり、あるいは谷底などに捨てられてしまう。
 
それが後に救い出され、地域の御堂や神社で祀られるようになったりしたものが、今回出展された仏様達だ。奈良や京都のような観光寺院でもないため、ふらっと行っても拝観出来ない。
 
今回集まった仏像を全て拝観しようとすると、時間も労力もお金もかかる。この展示会の話しを聞いた時は是が非でも行きたいと思った。


私が訪れた10月21日は、たまたま学芸員の方(図録の解説を書いた方)が薬師如来の講義をしていた。そこで聞いた興味深い話と、実際に見たり、古仏に感じたりしたことを元に、今回のブログに纏めてみることにする。


まず、会場内にずらっと並んだ平安仏の間に入り、集中して拝観していた時、最初に感じたのが「キツイ」という感覚だった。長時間その場にいると結構しんどくなる。

 
それは恐らく展示された全ての仏像が霊木仏だからであろう。霊木仏とは神仏習合の考え方から生まれた仏像で、日本に古くからいる「神」と、大陸から渡って来た「仏」を合わせた仏像のことだ。


もう少し具体的に言えば、荒ぶる神の御魂が宿った木に、慈悲の仏の姿を彫り、仏の御魂を入れ祀ることで荒ぶる神の怒りを抑え、結果的にご利益に変えてしまおうというものだ。

 
だから仏像を彫る前に、「木ありき」が前提であるので、必ずしも造像に向いている木を使う訳ではない。例えば、この観音様。

福井の仏像 観世音菩薩像3

体の一部が欠損していて痛々しい姿だが、首のあたりに着目すると

福井の仏像 観世音菩薩像6

木の節が見える。

福井の仏像 観世音菩薩像1

この観音様は、横から見ると驚くほど薄い。どちらの仏様もお顔や衣文などを見るに、腕のある仏師が彫ったと思える。しかし、あえて節を前面に出したり、不安定な厚みの仏像を彫るということは、四の五の言わず、その木でなければならないという理由があるからだろう。


また霊木像の表現には、影向(ようごう)思想が見て取れることがある。影向とは簡単に言えば、神や仏が人間の前に現れるという意味だ。そんな思想が反映された観音像は、どこかぞくっとする迫力がある。


今回の展示で言えば二体の仏像がそんな感じを受けた。

福井の仏像 観世音菩薩像4

まずはこの十一面観音像。とても美しい姿の仏様だが、注目すべきは頭の上の小さなお顔だ。

福井の仏像 観世音菩薩像5

本来彫られるべきはずの顔が無いのだ。これは木の中から仏が段々と現れてくると言う表現だ。木に宿った日本古来の神が仏の姿として現れるのである。

もう一体はこちらの仏様。

福井の仏像 観世音菩薩2

小ぶりな観世音菩薩像だが、肉眼でもはっきりと確認できる木目や、今一歩こちらに近付こうとする足の表現には、ぞくっと来るものがあった。観音像で片足を少し前に出すのはよく見るが、ここまで生々しく感じた足の表現はちょっと思い出せない。

福井の仏像 観世音菩薩像7


人によっては、この仏像の前に立つと後ろに下がりたくなるのでは?と思えるような迫力がある。


本来、節や洞、朽ちかけた木、雷が落ちた木などが霊木像だと言われるが、今回の展示された仏像を拝観するに、そんな特徴のない綺麗な木でも全て霊木像だと感じた。もっと言えば、平安以前の古い木彫仏(特に密教像)は霊木前提であるように思えた。


そもそも真言宗や天台宗のような密教は、まじないの要素が強い宗教だ。時の権力者が仏教に求めたことは、天変地異や疫病、祟りや障りを齎す神や怨霊の怒りから、国や身を守るためにはどうするか?ということだったと思う。
 

霊木で彫ったと伝わる仏像には、昔話が遺っている場合があるが、それらにはパターンがある。


まず、祟りまくる木があり、地域に災いを齎す。そしてその祟る木を時の有能な僧侶が供養し、観音像や薬師如来を彫り祀る。そして祟りは治まり、今度は大きな力となる・・・と言うものだ。


祟りや障りと聞くと、即答で迷信と答える人がいるが、私は今でもそれは存在すると思う。客商売をしていると様々な話を聞くが、木を切ったことで早死にしたり病気になったりという話もたまに聞くことがある。

 
特に神社のご神木を切った場合は顕著である。また、あろうことかそのご神木を材木にし、何軒かの家の材料にしたが、それらの家に住む人は不幸続きと言った話も聞いたことがある。


また、私は神社巡りも好きで良くお参りに行くが、神社の木の中には、頭を下げるしかないという神々しい木を見ることもあるし、非業な死を遂げた人の伝説がある神社や、古い塚などがある付近に育つ木の中には、恐ろしい姿の木を見つけることもある。

 
話を戻すが霊木で彫られた仏像は、祟りを抑え、きちんと祀れば凄まじい力をもった仏になる。それは密教の力も加わることで時に奇跡を起こす仏像となり得る。まだ庶民の為の仏教がなかった平安や奈良時代の仏教では、一番求められたのがその奇跡的な霊験であった。そのために必要だったのが霊木で彫られた仏像だったのでは?と思います。






プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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