2009-07-30

怪談? その1

夏だ。夏と言えば、いろいろ連想する事はあるが、
「怪談」を思い浮かべる人もいるだろう。
日本の場合、怖い話は何故か夏が多い。
これはきっとお盆が関係しているのか・・・。

稲川淳ニさんの時期到来である。
しかし、氏はもの凄い量の心霊体験を
しているなといつも不思議に思う。

大概の人は怖い体験は却下すると思うが、
あの人にとっては「よっしゃー!」というところだろうか。

自分も不思議な出来事には昔から縁がある方だが、
恐ろしい体験は少ない。その少ない体験の中で最も怖かったのは
高校2年時、修学旅行から帰った後の出来事だった。

修学旅行では、沖縄に行った。
沖縄と言えば、大東亜戦争の爪跡がしっかりと残っている。
防空壕や集団自決した崖などを見学した。

当時、仲間内でちょっとしたオカルトブームがあった。
心霊写真とかにも興味があり、場所が場所だけに
撮影出来るかもと(今思えば不謹慎だ)崖の写真を撮った。

これが事の始まりだった。

帰宅して2,3日経った夜のことである。

続く~

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2009-07-25

近所の神社 その4

~続き

雉が死んで埋められたとあるが、社伝を良く読むと、
どうも神社の境内に埋められたようである。

神社の神様は不浄を嫌う。以前、有名な神主さんが
書いた本を読んだが、大切な神事の前に親戚の葬式が
突然入ったが、行かなかったとあった。

神社の入り口には、注意を促す看板があるが、
多い文句は「境内を汚さないこと」、「動物を入れないこと」等がある。

そう、神様は不浄とか穢れを嫌われるのだ。

雉が先で白山神社が後なら、何となく分かるが、
この場合、元々あった白山神社に雉の死骸を埋めた事になる。

よくよく考えると、「それはしないだろう?」と思えるのだ。

また、何故死んだ雉から榎が生えたと確信しているのかも謎である。
掘り返したのだろうか?

更に気になるのは「雉」に関する昔話の存在だ。
400年以上経った現在でも、「雉が死んで榎が生えた」という
たったそれだけの話がしっかりと残っていることだろう。

昔話には必ず発端となった人物がいる。
その人物(あるいは複数)は「雉が死んで榎が生えた」
「榎の木は神木であり、重要である。権現として敬うべし」と
いう話を残さねばならなかったという事だ。

何か隠されていることがあると思った。

おしまい。

追記
結論はそれなりに出てますが、関係者に迷惑が
かかる可能性がありますので、ここで止めておきます。

2009-07-24

近所の神社 その3

~続き

前回のコメントについて一部訂正があった。

記録に残っている神社創建年代が文明9年(1477年)で、
雉が亡くなったとされる年代が文禄とある。

調べてみたら「文禄」とは1592~1595年だった。

つまり、神社が最初にあり、雉が亡くなったのは後となる。

この白山神社は別名「榎権現(えのきごんげん)」と言われる。
権現とは、仏教に出て来る「仏」が日本古来の「神」になって現れた姿である。
(仏教を広める為、日本の神と合祀させた時に考えられた思想から来ている)

疑問の一つは、元々の御祭神である菊理媛神、
即ち「白山」の名を付けなかったことだろう。
通常なら、「白山権現」となってるのではないのだろうか?

しかし、この場合は「榎権現」になっている。
榎の木が何やら重要になっているのだ。

二つ目の疑問は、「雉」についてだ。

続く~

2009-07-23

近所の神社 その2

自分が住んでいる氏神様は白山神社だ。
御祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)という女神だ。

この神社、古くは織田信長が今川義元を討つ為、
桶狭間に軍を向かわせている途中に戦勝祈願に立ちよったとされている。
(神社の前が街道)

hakusann

神社の創建は1477年。尾張国の太守「斯波義銀」が建立したのが始まりだ。

由来を観るに、「?」と感じた箇所があった。

そもそも白山神社が建立される前に「榎」の御神木があった。
(この界隈にある小学校の名は「榎小学校」と言う)
その榎の木は、一匹の雉の胎から生えてきたというのだ。

果たして死んだ雉一匹の為に、それを祀り、神社を建てるだろうか?
疑問に思ったことを基に考えてみます。

続く~
2009-07-22

近所の神社

7月の18日、氏神様である近所の白山神社のお祭りがあった。
子供の頃以来、行ったことがなかったので、時間もとれたこともあり、
御参りに行くことにした。

白山神社

子供の時と比べて、出店の数が激減していた。
3分の1くらいしかない。

訪れる人も少なかった。これは少子化問題も少なからず
あると思うが、もっと根本的な問題があると思った。

氏神様は、自分の土地の氏子を守ってくれている。
年に一度、感謝の意味を兼ねてする催しが祭りだ。

祭り=賑やか=楽しい、で出かける人が殆どだと思うが、
一番大切な、(神様の土地に)住まわせて頂いている、守ってもらっている、
という感覚が無くなってるなと感じた。

2009-07-18

矢喰神社(やぐいじんじゃ)

両親が最上稲荷を訪れた次の日、二日目は「桃太郎」所縁の神社を訪れた。

岡山県は日本にいくつか残る「桃太郎伝説」の有名な場所の一つだ。
(桃太郎伝説についてはこちらまで)

吉備津神社、吉備津彦神社、鯉喰神社、矢喰神社、血吸川
の順番で回った。

吉備津神社吉備津彦神社は鬼(温羅:うら)を倒した桃太郎(吉備津彦)を祀る神社で、
鯉喰神社矢喰神社は鬼と桃太郎が激突した場所が神社となったものだ。

旅の終わり、最後に訪れた神社が矢喰神社だったが、ここでも不思議な事があった。

異変に気付いたのは、全ての工程が終わり、帰りの車内での会話からだった。

二日間の思い出を二人が話していると、最後の矢喰神社に関する
出来事だけが大幅に食い違っていた。

父は「親切な神主さん、二人に会えて、しかも普段見られない、
    もの凄く広い建物を見学させてもらえて良かった」

と述べたが、母には神主に会った記憶は無い。また矢喰宮は公園内にある
とても小さな神社だった。

父が案内されたのは温羅(鬼)の宮殿だったようである。
途轍もなく巨大な宮殿は、床は板張りで一面ゴザが敷き詰めてあったそうだ。

主を訪ねたら、今は留守にしていると案内の神主(?)が答え、
これ以上奥には行かない方が良いと止められたと言う。

どうも昼間に観た幻覚の類のようだった。

帰宅後、持参したデジカメにその神主が写っていると言い張り、
全部調べたが神主さんは写っていなかった。

しかし、最後の方に撮影した二枚の写真を父が見つけ、
「この人達だ」と言った写真があった。

それは「矢喰神社」の入り口に鎮座していた二体の神像だった。

神像1

神像2





2009-07-16

最上稲荷出現の地

両親が岡山県への旅行から帰って来た。

最上稲荷への参拝と、岡山県で最も有名な神社、
「吉備津神社」と桃太郎伝説所縁の神社の参拝だ。

父が神社に行くと、不思議な現象が起こることがある。

この話は最上稲荷で起こったことだ・・・。

最上稲荷出現場所

最上稲荷奥の院は、山の中にある。寺の歴史によれば、

【最上稲荷の歴史は、天平勝宝4年(752)に報恩大師が
八畳岩でご本尊の最上位経王大菩薩を感得されたことに始まります。】

とあるように、山中には大きな岩が折り重なった場所がある。
寺の開祖となった報恩大師がこの場所で修行中、その眼前に現れた
のが最上稲荷だった。

父の話だともの凄くキツイ場所と言う事だった。

その地を訪れてしばらく経った時、左手首に付けていた
数珠に異変が起こった。みるみる色が変わってきたのだ。

当初、木製の茶色だった数珠は変色してしまった。
何年も茶色だった数珠が、出現場所に着いた途端、緑色になってしまったのだ
緑色になった数珠

一体、何を意味するのかは分からない。
遠路はるばる来た父に、最上稲荷が霊力を見せてくれたのか?
それとも、例の爪と因果関係があるのか?(数珠をしてたのも左手)

真相は不明だが、父の身には特別異変はないようだ。
ただ、数珠の色が突然変色したのは事実である。





2009-07-10

忘れて良い事といけない事

毎日ブログを更新している人は凄いと思う。
それだけ書くネタが多いという事か・・・。
もしくは、日々感じる事が多いということだろうか?
そういうところで感性は磨かれていくのだろう。

前回の最上稲荷の話も、「何か書くことねぇかなぁ」
と考えていたら思い出した訳だが、思い出すと、
「何と有り難いことだったんだろう」と気付くと同時に、
「俺、忘れてたなぁ」と反省した

自分を取り巻く環境、起こった出来事については、
忘れて良いこと(気にしなくて良い事)と、
絶対忘れたら駄目だと言う事がある。

「当たり前」だと思ってしまう事は危険だ。

その都度気付かせてもらうが、時間と共に忘れてしまう。
身についていない証拠だ。

忘れない為には、「日々感謝の気持ち」を習慣付けるしかないと。

今日も一日ありがとうございました。



2009-07-08

いざ、岡山へ その④

~続き

夢で言われた通り、父の病気平癒の祈願をし、
祈祷をあげてもらった。

その後、境内を散策し、奥の院が山の上にあると気付いた。
普通にあるいて30分くらいで奥の院にいける。

向かう道中、一匹の蝶が自分の周りをぐるぐる回っていたのが、
記憶に残っている。

奥の院

奥の院を参拝し、オミクジがあったので引いてみた。
オミクジというのは、引く時に「何を聞きたいか」を
言葉にしたり、心に思ってから引くと「おっ!」と気付かされる
アドバイスがくる事がある。

父の事と、自分の事を引いてみた。
前者は「願いは叶う」的な結果がでたが、
後者は「気合入れろコノヤロー!」的な内容だった

自分のオミクジは明らかに叱咤激励だった。

帰り際、もう一度最上稲荷を参拝し、寺を後にした。

頂いたお札を病院にいた父に届けた。

それからいろいろな事があったが、父は退院する事が出来た。

今月、両親は最上稲荷に御参りに出かけるそうだ。

おしまい。

追記
この時、心に抱いた出来事を思い出した。
頑張ります。



2009-07-07

いざ、岡山へ その③

~続き

早速、旅の唯一の目的の祈祷を上げてもらう為、
本堂から廊下で繋がっている、別棟の受付に向かった。
最上稲荷の御眷属

祈祷料を払い、受付を済ませると本堂に上がった。
お寺さんのお経を聞いていて、日蓮宗だと分かった。
「南無妙法蓮華経」だったのだ。

我が家でお祭りしている稲荷が「最上稲荷」と判明したのは、
ある出来事があったからだ。(ここでは詳細は省きます)

名前が不明だった時は「甚五郎稲荷」と呼んでいた。
江戸時代の名工「左甚五郎」が彫ったとの言い伝えがあったからだ。

自分が子供の頃、お世話になっていた、とあるお坊さんが
我が家にお経をあげに来てくれた時、この稲荷を観て、
「これは凄い力のある稲荷だから、人の名前を付けてはいかん」

とおっしゃり、「私でよければ、今名前をつけます」
との事だったので、お願いした。

その時についた名前が、当店の屋号を取り、
「紅葉稲荷大尊天(こうよういなりだいそんてん)」
だった。

このお坊さんは岐阜県羽島市にある、
「圓隆寺(えんりゅうじ)」という、寺の住職で、
日蓮宗総本山で修行した祈祷に長けた方だった。
(現在は亡くなり、息子さんが継いでいる)

「紅葉稲荷大尊天」という名前を付けて頂いたのが、
日蓮宗と所縁の深いお坊さんで、
本来の名前である、「最上稲荷」が祀ってある寺も日蓮宗だった。

何か縁があるなぁと思った。

※ややこしくなりましたが、我が家では今でも
 「紅葉稲荷大尊天」としてお祀りしてます。

続く~


2009-07-06

いざ、岡山へ その②

~続き

いつかは行こうと思っていた「最上稲荷(さいじょういなり)」。
こんな形で行く事になるとは思わなかった。
突然決まった、一人旅が始まった。

新幹線で岡山駅に着き、そこからローカル線に乗り換えて、
着いた駅からタクシーで最上稲荷の元へ向かった。

タクシーの窓から大きな森が見えた。
すると今度は、巨大な第一鳥居が道路上に現れる。
嘗てはここからが境内だったと考えると、
かなり大きな寺社であると想像出来た。

最上稲荷は「伏見(京都)」「豊川(愛知)」に並ぶ、
日本三代稲荷の一柱の神様だ。
仏教と合祀されてから、仏教色の強い神様となった。

伏見稲荷は「神社」だったが、最上稲荷は豊川稲荷と
同じく「寺」だった。

寺に到着し、大きな本殿を眺めた時、
何とも感慨深い気持ちになった。

建物の立派さで言えば、豊川稲荷の方が凄いと思うが、
そういった目に見える大きさではなく、自分を取り巻く空気と言うか、
懐が深いと言うか、説明が難しいが、とにかく途轍もなく大きなものを
感じた。思わず口から「スゲェ・・・」という言葉が出ていた。

続く~
2009-07-05

いざ、岡山へ その①

2年前の5月くらいの話。

父が持病を再発して入院した。
再発して助かった人はいないという話だったので、
その時は覚悟をきめていた。

経験のある人もいると思うが、大切な人が重い病気に
なってしまった時、周りにいる人間が出来る事は少ない。

当時の自分もそうだった。そんな状態でも何か出来る事は
ないかと模索していた時、我が家で縁あって祀ってある、
お稲荷さんを思い出した。

このお稲荷さんは最上稲荷と言い、岡山県に総本宮がある。
行こうかどうか迷いながら、父の事や家の事、今後の仕事について
どうしようか考えながら、その日は床についた。

その夜、不思議な夢を見た。
どこか分からないが、日本建築の広い部屋の真ん中当たりに
自分が正座し、目の前に初めて見る和装の男女が5人(7人だったかも)
自分と同じく正座して並んでいた。

5人(7人?)は、明日すぐに岡山の最上稲荷に行くこと。
父の病気平癒だけを祈願してくること。
最上稲荷だけを参拝し、他の寺社にはよらないこと。

等を自分に告げた。言われた事は素直に受け入れていた。
翌朝目覚めると、その日は仕事を休み、直ぐに名古屋駅に向かった。

こうして、我が家で初めての、最上稲荷への参拝に行くことになった。

最上稲荷 縁起

続く~
プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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