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2008-07-29

おちょぼ稲荷の木

続き~
おちょぼ稲荷が疲れたという理由は二つあった。一つは、社殿扉の格子になっている所に無数の名詞が刺さっていたこと。これは、商売繁盛したい人が自分の名詞を願掛け代わりに置いていく風習からきているもらしい。

もう一つは本殿向かって右側にある、トタン板で囲ってある不思議なものだ。このトタン板、一部が扉のようになっていて開閉式になっていた。

「なんだろう?」と思って開けてみたら思わず「うーわっ!」と声を上げてしまった。それは異様な光景だった。そこには朽ちた木があり夥しい数の片方だけの履物(靴、草履、サンダルなど)が釘で打ち付けられていた。後で調べてみたら、どうやら家出や行方不明になってしまった人を呼び戻すまじないの類らしい。

この二つ、目的は全く違うが、共通していることがある。それは願った人間の強い想いだ。成功したい。助けて欲しい・・・。想いの強弱はあるかもしれないが、これだけの数になるとそうとうな「想いの力」になるだろう。なんとなくお稲荷さんが気の毒に思えてきた。

木が枯れるほどの「想い」・・・。ここに来ると疲れる理由はこれかもしれない。

おしまい。
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2008-07-28

おちょぼ稲荷

日本で有名なお稲荷さんを挙げると、西からそれぞれ「最上稲荷(岡山県)」「伏見稲荷(京都)」「豊川稲荷(愛知県)」となる。これらに加えて有名なのは岐阜県にある「千代保稲荷」だ。通称、「おちょぼさん」である。

ここの参道は商店街になっていて、いつも混雑している。それだけ参拝客が多いのだ。今まで沢山の神社に参拝(兼調査)に出かけたし、これからもどんどん増えると思う。そんな中、以前、最も怖かった神社を挙げたが、一番疲れた神社はこの「おちょぼさん」だった。

また、疲れるけど何度か足を運んだ神社でもある。串カツ美味いし。

おちょぼさんの思い出、気付いた事を振り返ってみたい。

続く~
2008-07-23

そういえば・・・。 (豊橋市にて)

大阪と奈良へ辨財天を参拝に行った、ちょうど10日ほど前、愛知県豊橋市の辨財天を一人で参拝に行った。

この日、豊橋に向かったのは、豊橋市歴史美術館という所で「木喰展」を開催していたからだ。木喰とは江戸時代、日本のあちこちを旅し仏像を彫った僧侶だ。なかなか木喰の仏像を観る機会はないので、この日を逃したら二度と観れないと思った。

当日の朝、何気に新聞を見ていたら、県民版のページに興味深い記事が載っていた。そこに辨財天のお堂が写真入りで掲載されており、この度、豊橋市の文化財に指定されたとあった。

ここで知ったのも何かの縁。ついでに参拝することにした。

続く~
2008-07-22

そこに隠されたもの

~続き

大阪、奈良と二つの辨財天社を参拝して多くの謎が残った。キーワードを挙げれば、「役行者」「刀良売」「虫」「片目のカエル」「金峰山のカエルの祭り」・・・そして「辨財天」

父には全て理解出来たようだった。ここでは何も語ることは出来ないが、調べれば調べるほど、表の日本史には決して現れることはない、もう一つの真実が観えてくる。

何故、仏教が国策として広まったのか。役行者が祀るようになった蔵王権現は何故、あのような恐ろしい顔をしているのか。

バラバラになった、全く関係ないだろうと思われたことが一つになっていく。父のやろうとしていることは当初関心すらなかった。「それで何?」というのが素直な感想だった。

しかし、その熱意と、誰も知らない、言わないことが「現実」を伴って「これでもか、これでもか」と体験させられると、これは手伝わないと・・・と思えてくる。

今言えることは、日本をもっと知りたいこと、寺と神社はとてつもなく面白いと言うことだ。

おしまい
2008-07-20

「刀良売の墓」 奈良、辨財天その4

~続き

行者堂を参拝し、本日の最終目的地、「刀良売の墓」に向かった。場所がよく分からなかったが地元の方に道を尋ねたらすぐに教えてくれた。「捨篠神社」にあった案内を見ると「塚」と表記されていたので、昔は土が盛ってあったのかもしれない。

このお墓も前回紹介した「金峰山寺」の祭りのコースに入っているそうだ。現在は新しくなったお墓。これから先も地元の人達に守られてずっと残っていくのだろう。

大阪箕面山と奈良の捨篠神社は深い結び付きがあると思った。母が亡くなった(しかも祟りで)ことで衝撃を受け、その後箕面山に籠もった。苦行の中、辨財天から力を授かり、奈良の生まれ育った土地に辨財天社を建立する。点と点が繋がり一つの線になった。

家に帰ったら写真の印刷と、金峰山に伝わる「カエルの祭り」と捨篠神社に残る「片目のカエル伝説」
を調べなければならなくなった。

この日、デジカメで撮影したのは100枚ちょっと。特に異変もなくすんなり撮影出来たので、今回は不思議な写真はないだろうなとこの時はそう思っていた・・・。

続く~


奈良 善教寺
刀良売の墓
2008-07-19

役行者の故郷  奈良、辨財天その3

~続き

捨篠神社には4つの来歴を紹介した看板があった。(前回のはその一つ)その一つに神社周辺の名所旧跡が記してあった。「行者堂」と「刀良売」の墓である。まず、行者堂に向かうことにした。

神社から、そう遠くない所に、寺の屋根が見えたので、「ああ。あそこだな。きっと・・・。」と疑うことなくその寺に向かった。役行者が寺に祀ってある場合、まずその寺の宗派は、天台、真言系とみて間違いない。修験道も、天台、真言も「まじない」を得意とするからだろう。

寺に到着したが、その寺は作りからして「本願寺」系のお寺だった。愛知県では最も多いであろう、南無阿弥陀仏の宗派だ。当然、そこには役行者は祭っていなかった。

初めて訪れた土地である。右も左もよく分からない。どうしたものかと思っていたら、タクシーに乗って住職が帰宅してきた。行者堂について聞いてみると、快く答えてくれた。行者堂はここではなく、二件ほど離れた寺のことだった。

お礼を言って立ち去ろうとすると、その住職は意外なことを教えてくれた。嘗てこの寺の境内に、役行者が生まれた時に浸かった井戸があったというのだ。

そう、先の「捨篠神社」の看板には載っていなかったが、この寺周辺の土地が、多刀売と行者が過ごした家があったのである。

井戸は現在、埋められてしまったが、今でも金峰山寺(修験道の総本山)で行われるお祭りのスタートは、この井戸があったとされる場所から、山伏が集まって開始されるそうだ。

続く~




看板、周辺案内 
2008-07-17

カエルの民話  奈良、辨財天その2

~続き

この弁天社に伝わる昔話を要約するとこうなる。

刀良売(タラメ:役行者のお母さん)がある日、池の前を通った。そうすると美しい光景と共に金色眩いカエルが現れる。

その時何を思ったか、刀良売は近くにあった篠(ささ)をちぎり、カエルに投げつけた。その篠は何とカエルの目に刺さり、途端に景色は元に戻り、カエルも普通のカエルになってしまった。

それ以後、池のカエルは全て片目となり、刀良売も体調を崩し亡くなってしまう。この出来事があり役行者は発心し修験道の開祖となった。

その後、母の供養の為、役行者はこの弁天堂を建てた・・・。というものだった。

因みにこの弁天社、このような言い伝えが残っている為、「捨篠神社」と云われている。

続く~

カエルの民話2
カエルの民話1
2008-07-16

「池」 奈良、辨財天その1

~続き

箕面山を後にして、次に向かった先は奈良県のとある辨財天社だ。観光地でもなんでもない、村の鎮守様という風情のお社だ。当然の如く観光客は一人もいない。

この辨財天社、とても古くからあり、先に訪れた箕面山とも深い関わりがある神社だ。どちらにも共通していることがあり、それが「役行者(えんのぎょうじゃ)」だった。

奈良の辨財天社の方には、役行者のお母さんに纏わる伝説があった。この辨財天社の隣が公園(昔は境内だったのだろう)になっていてそこに社歴が建っている。この伝説こそが、ここに訪れた最大の理由だった。

続く~
2008-07-14

滝 箕面山その4

~続き

いよいよ滝に到着した。思ったより大きな美しい滝だった。平日だったが観光客がわりとたくさんいた。
因みにこの滝、日本の滝100選の中に含まれている。嘗ては、この滝すぐ近くに弁天堂が建てられていた。滝付近の土地が平に均されていて、そこにはお店が建てられていたが、おそらくその場所が元宮だったのだろう。

帰り際、売店に周辺の観光案内が記してある地図が貼ってあるのを発見した。一つ一つ確認していて興味深いものを発見した。時間の都合で寄る事は出来なかったが、虫供養で全国的に有名なお寺が参道の途中にあった。昆虫館があったのもこれに因んだものだと、ようやく理解出来たが、実はこれには重要なメッセージが含まれていた。

続く~

弁天の滝
2008-07-11

慰霊碑 箕面山その3

~続き

奥の院でもある滝の少し手前に、慰霊碑があった。それによると、昭和26年におきた集中豪雨で箕面山の宿やお店が流されるという天災があった。当時の警察長の合田百一さんが、先陣を切り、果敢に救出に向かったが泥水に呑まれてしまい、亡くなってしまった
慰霊碑をその偉業を称えて建てられたようだった。

辨財天は日本に渡来した際、神道の市杵島姫命と合祀された。現在では、市杵島姫命がお祭りされている神社には辨財天が祀られていることが多いのはこの為だ。本来は全く別の神だと思うが、一般的には弁天=市杵島姫命となっている。

また、市杵島姫命は「一姫」とか「市姫」と称されて祀られているケースもある。前述の殉職した警察長、合田百一さんの名前は、「一」の字がつく。弁天(市杵島姫命)の里で、偶然にも「一」の字がついた方が殉職していた。きっとこの方は天国に召されていると思った。

だんだんと滝が近づいていた。

続く~

慰霊碑1
慰霊碑2
2008-07-10

「石子詰」と「戻り岩」 箕面山その2

続き~

滝へ向かう道中、気になるものを幾つか発見した。一つ目は、「石子詰」なる地名の看板である。これは、何かの本で読んだが、昔の処刑方法だ。地面に穴を掘り、そこに罪人を入れ動けなくしておいてから、罪状を読み上げ皆で石を投げ入れて、生き埋めにするという(途中で亡くなるそうだ)恐ろしい処刑方法の名だ。

こんな地名が残っていると云う事は、嘗てこの近辺に石子詰の処刑場があったんだと思う。時間があれば探したかったが、今思うに探さなくて正解だった。

二つ目は「唐人戻り岩」だ。伝説によれば、箕面の滝の素晴らしさを聞いた、唐の貴人が山に入ったが、箕面の山のあまりの険しさに奥まで行くのを躊躇った場所が、ちょうどこの大岩だったから、この名がついたそうだ。
この岩、写真では伝わりにくいが、とても迫力がある。現在の箕面山は道が整備されて歩きやすくなったが、大昔は歩くのも一苦労だったのだろう。陽が届きにくい薄暗い森に、突然こんな大岩が現れると、確かに引き返すよなと思った。

更に奥へと向かった。

~続く

戻り岩
石子詰 看板
2008-07-07

箕面山の辨財天

高速をのんびり走って現地に到着したのは10時30分頃だった。辨財天の山は、車の乗り入れが出来ない。なので、付近の箕面駅の市営駐車場に車を停め歩いて向かった。参道にはお店が並び、あちこちで「紅葉のてんぷら」がお土産で売っていた。(何となく買うのはやめた。)

また、猿もよく出るらしく、「モンちゃんせんべい」なども売っていた。20分ほどあるくと辨財天が祀ってある寺に到着。道中、「昆虫館」なる子供向きの施設があったがとばしてしまった。(これ後になって後悔することになる)

本日の目的地の一つ、辨財天堂は江戸期の建物で、どちらかというと、神社に近い造りだった。思わず「おおっ!」と声が出てしまう程、荘厳な雰囲気がある。この日はずっとそうだったが、何か観られているような感覚があった。

境内には歴史を紹介した看板があり、それによると、この奥に滝があり、創建当時は滝のすぐ傍に辨財天のお堂があったそうだ。それが戦国の時代、織田信長の襲撃にあい焼失してしまい、現在の場所に再建されたという。

比叡山の焼き討ちは知っていたが、大阪の箕面山まで焼き討ちしてるとは知らなかった
愛知県に住む人は信長というとあまり酷いイメージを持つ人は少ないと思うが、他県の人から見るとムチャクチャな人物という認識なのかもな・・・と思った。
参拝後、奥の院ともいえる滝に向かうことにした。

続く~

弁天堂 由来
2008-07-04

箕面山にて

7月1日、父と大阪の箕面山(みのおやま)と奈良に出かけた。出かけた理由は、現在執筆中の「地蔵寺縁起書」において、どうしても調べなければならない神、「辨財天」が日本で最初(最古)に人間の前に現れたという伝説が残る場所が箕面山だったからだ。

また、最初に出会った人間というのが、日本における世界遺産の一角を担う金峰山で有名な、修験道の開祖「役行者」だという。

この日帰り旅行は何と説明したらいいのだろうか、とんでもなく面白い旅だった。おいおいこのブログでも紹介して行きたい。

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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