もみじの記録帳
古き良きものや、日々の気付き、思ったことを気ままに記録しています。
その後・・・。
続き

「緑膿鬼と爪事件」が起こってからしばらくしてから、こんなニュースが新聞に載った。小さな記事である。http://sankei.jp.msn.com/life/body/080212/bdy0802121939001-n1.htm
その記事から「耐性緑膿菌」なるものがあった知った。何でも抗生物資が効かないという、医者の間でも要注意とされる病原菌があったのだ。

「緑膿鬼」と「緑膿菌」・・・。不思議とよく似ているなと思っていたら、父がまた夢で緑膿鬼と会って話を聞いたそうだ。緑膿鬼は病原菌の「緑膿菌」について「人間にしてはなかなか良い名をつける」と感心していたそうだ。緑膿鬼が言うには自分は日本の何処かで祭られていたそうだが、現在では一切祭られていない。(何か祠的なものがあるのかも)手を合わせる人もいないらしい。
面白くないので、自分の前を無視して素通りする人間にかたっぱしから災いをぶつけているそうだ

緑膿菌が爪に感染すると緑色になる。医者もそれを疑ったが、調べても悪性のものではない。緑膿菌以外で爪が緑色になる例は報告が一件もないという。

おしまい
左手の文章
〜3月22日の続き〜
その後、新たな出来事が起きた。以前から右手で自動書記が(たまに)行われていたが、爪が緑になった左手でも自動書記が出来るようになったのだ。しかも左手はまた違う文章を書くようになっていた。従来の右手は「地蔵寺縁起書」を、左手は聞いたことのない、古代史だった。同時進行で左右別々の文章が出来上がるのだ。

後者の古代史は父が子供の頃、中学生まで書いていた謎の文章のようだった。これは歴史の表舞台から消えてしまった滅ぼされた側の歴史だった。その文章は「清涼殿に座す、安倍晴明に降魔が語る」という出だしで始まる話だ。

後で分かったが、左手の文章は「書き続けると命を落とす」ので今は行われていない。

※・・・3歳頃から中学位まで、自動書記が行われてた。膨大な量の原稿だったが、祖父が気味悪がって全て燃やしてしまったそうだ。現在の左で書かれた文章はどうもこれらしい。

〜もう少し続く〜
爪の正体
〜3月21日の続き〜

鬼の夢を見る前日まで爪には何の以上もなかった。中指一本だけ一晩で変色した事になる。もともと持病のある父は「緑の爪」が悪性の病気だといけないと思い、普段から通院している、某大学総合病院の医師に相談する事にした。(夢の話は伏せてます)

診察を受け、爪の間から微かにこぼれる「緑の粉」を採取した。爪が緑になる病気はあるようでほっとくと危険な状態になるらしい。後で大変なことになってもいけないので「緑の粉」を分析し、血液の検査もする事にした。

数日後検査結果を聞きにいったが、バイキンやカビといった悪性のものではなかった。医者もよく分からないそうだ

今迄いろいろな不思議な出来事と遭遇した為、今回の一件も(驚いたけど)正直「またか」と感じた。
しかし、更に驚く事はその後もう一つ控えていた。この時点では考えもしなかった事である。

〜続く〜
夢の鬼
最近、父にまたもや不思議な出来事がおきた。このブログでも以前紹介した「地蔵寺縁起書」。その大半は夢で見た事をそのまま書いたり(書き終わると続きが出て来る)、自動書記と思われるものだ。

ある日こんな夢を観たそうだ。現在も続いている縁起書作成時にそれは夢の中に現れた。緑色の鬼である。顔はおぼろげで分からなかった。

夢の中でいろいろなやり取りがあり、其の中で父は鬼に名を尋ねた。その鬼は「緑膿鬼(りょくのうき)」と名乗った。父には全く覚えが無い。しかし緑膿鬼は「自分の事は、お前は既に知っておる」と語ったそうだ。夢の最後に緑膿鬼は「今宵の出来事が幻ではない証を残す」と言い、父の指に軽く触れた。その刹那、指に激痛が走ったところで目が覚めた。

不思議な夢だったと目が覚めたら、指に痛みがある事に気付いた。なんと爪が緑色になっていたのであるマニキュアの類のように色が塗ってある訳ではない。爪の中が変色していたのだ。

続く〜


爪


天部の世界
「天」を調べていたら、初めて知ることが多かった。仏教においての天界、所謂天部という神々が住む世界はこのように分けられる。階層があるのだ。

欲界(六欲天とも言う)・・・四天王衆天(下天)、忉利天、夜摩天、兜率天、楽変化天、他化自在天
色界・・・六欲天の上にあるもの。十八天ある。欲を離れた物質世界。
無色界・・・色界のさらに上にある世界。四天ある。純粋な精神のみの世界。

よく大得意で調子こいてる人の事を指して「有頂天になる」と言うが、実は天界の最も上にあるのが「有頂天」だそうだ。

面白いなと思ったのは、仏教における神々は欲が完全には抜け切れない修行中の存在という事だろう。人は悩んだり、成長する為に問題にぶち当たる。でも神様も同じように(度合いは違うだろうけど)修行中なんだなぁと考えると何か親近感が湧いてきた
「下天」 敦盛の話
織田信長が好んだ「敦盛」の有名な一節に「人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり」というのがあるが、ここに出て来る「下天」というものが長い間だった。

ふとまた気になりだしたので調べてみた。ここで言う「天」とは仏教で言うところの、天部(仏教に取り入れられた古代インドのバラモン教の神々)がすむ世界のことだそうだ。

その天も幾つかの階層に分かれている。その中で一番下の天界が「四天王衆天」と言い、別名「下天」という。下天の一日が人間の五十年に相当するそうだ

「敦盛」では「人間の一生など天部と比べれば一瞬だぞ」という事が言いたいのだろう。二度とない一日を無駄なく過ごそう。