もみじの記録帳
古き良きものや、日々の気付き、思ったことを気ままに記録しています。
「桃太郎伝説」の〆に、こんな民話があったので紹介したい。山形県に伝わる話だ。

これから読み取れるのは、その土地の先人が(その土地の)鬼の正体を知っていたのでは?と言う事だ。滅ぼされた人達の事を哀れに思ったのかもしれない。どちらにしろ、「鬼は悪とは限らない」という強い想いがこんな民話になっていったのだと思う

我が家では節分の日は、豆まきは行っていないが、もしやるとしたら「福はうち」のみにしておこうかなと思います。「鬼は外」とは言えません。かといって「鬼は内」とも怖いので言えないけど・・・。

桃太郎の話はこれにて終了します。次回から気楽にやろ。
第10回 桃太郎伝説
続き〜

■あとがき
日本には数々の鬼伝説がある。もっとも有名な鬼は源頼光に滅ぼされた大江山の酒呑童子だろう。

源頼光と言えば、全国に散らばる妖怪退治伝説に幾度も登場する、部下に坂田金時(金太郎)を連れた勇猛な武将であった。しかし流石の頼光も酒呑童子の力には困り果てていた。そこで一計を案じた。
頼光らは山伏に変装して道に迷ったふりをし、酒を片手に酒呑童子に近づく。敵の懐に入り、油断させた所で討ち取ろうというのだ。
その名の通り酒呑童子は大層酒好きの鬼であった。酒呑童子は山伏に変装した頼光らを迎え入れ、宴会をする。酒呑童子は酒に痺れ薬が入っているのも知らずに呑み続けたが、異変に気付いた時には既に身動き出来ず、首を刎ねられた。刎ねられる直前、酒呑童子はこう洩らす。

情けなしとよ客僧たち いつわりなしと聞きつるに 鬼神に横道なきものを

鬼神に横道なきものを…これは、「鬼は真っ直ぐで卑怯な事はしない」といった意味である。全ての鬼が犠牲者だったのではないかもしれないが、一方的に滅ぼされ無念のうちに鬼となってしまった者も少なからずいたのではないだろうか。

桃太郎伝説 第9回
〜続き〜

桃太郎のモデルとされる吉備津彦命(五十狭芹彦命)の古墓は岡山にあるとされるが、実は愛知県安城市にもその古墳がある。
現在調査中だが、周辺の神社仏閣、歴史を調べる内、三河にも温羅伝説と同じようなパターンの歴史が見えてきた。

五十狭芹彦命は武勇に秀でていた。各地の戦場へ進軍していたのだろう。(ある意味、五十狭芹彦命も何時死ぬか分からない戦場に、とことん行かされた可哀想な役目だったと言える)

安城市の五十狭芹彦命の古墳周辺にも産鉄民の足跡が残っている事を考えると、鉄を求めて五十狭芹彦命が愛知県に来たというのも説得力が出て来る。
厳密に言うと、古墳が造られた時代と吉備津彦命が活躍した年代は違うかもしれないが、その場所に桃太郎の伝説があるという事実が意味のある事だと思う。

もうじき終わります。続く〜


桃太郎伝説 第8回
〜続き
父が入院していた時、同室に居た刺青師のAさんから、「桃太郎の図案に面白いものがあるからあげるよ」と頂いたものがある。何でも元は江戸時代の浮世絵で、それをAさんが自ら写したものだ。

(見舞いに行った時、「兄ちゃん、刺青入れたろか?」と言われたが「痛そうなので止めます」と答えたら「正解!」と言われたの思い出した。修羅場を潜った豪快な人で話が面白かった)

さて、この下絵、桃太郎が鬼の角を押さえて、身動き出来ない状態にしている構図になっているが、注目すべきは「桃太郎の片足がバラバラになった刀を踏みつけている」箇所だ。

桃太郎の昔話には様々なパターンがあるが、明治より前の桃太郎は鬼ノ城に攻め入る動悸が、ただ「宝を取りにいく」事で、「鬼が悪さをするので成敗に」という件が追加されたのは明治以後、学校教育に使われるようになってからだった。

前述の折れた刀を踏みつける桃太郎の絵は、こんな昔話からデザインされた。
それは「桃太郎と鬼が刀を交換した。桃太郎は弱い刀を、鬼は強い刀を出した」というものだ。

これから一戦交えるもの同士がわざわざ武器を交換するとは思えない。この背景には、まず桃太郎を迎え入れた鬼と、巧妙な計略で鬼に近づいた桃太郎の図式が浮かんでくる。

〜続く〜


桃太郎伝説 第7回
だんだんしんどくなってきましたが、もう少しなので続けます。

〜続き〜

■攻め入る側も…
刎ねられた温羅の首を犬飼武の犬に喰わす…。ついつい聞き流してしまう箇所だが、これにも隠された意味があると思えてならない。
例えば「吉備津彦命」の名の場合、吉備を平定したので国の名が人名になったという意味があると判るが、犬飼武の場合、ただ犬を飼っているから苗字になっているという単純な理由だとすると、これは明らかに自らが名乗ったのではなく、中途半端に付けられた蔑みを含んだ名前だと思える。

祟られる可能性がある首を喰わせるという行為も無理矢理やらされたのだろう。犬飼一族は全国制覇を狙う大和朝廷に滅ぼされるより降伏を選んだ。だから敢えて侮辱した名を受け入れた。
こう考えて大和朝廷側から見ると、敵と決めた相手には、損害を最小限に抑える為、降伏した人々を差し向け、自らの手は汚さないという巧妙な手口が浮かんでくる。

鉄を求めて全国制覇をしていたのであれば、最前線で戦わせる人々も産鉄民だった可能性が高い。同族同士の戦いもあったのかもしれない。

もう少し続く〜


桃太郎伝説 第6回
※毎日続けるというのは大変です。さて続きです。

〜続き〜
ここで「温羅」という文字について考えたい。温という漢字を辞書で引くと「あたためる、おだやか、なごやか」という意味がある。また、古代朝鮮では城壁の事を「羅城(ウル)」と呼ばれていた。鬼ノ城という城壁(ウル)に囲まれた城に住み、鉄文化を広めた温(あたたかい)という文字を持つ王。

死後、怨念を抱いてなお改心し、吉備の民に助言(鳴釜神事)する神となった事を考えると、温羅は万民を思い慕われていたのではないだろうか。遠い百済から渡来し、吉備に辿り着いた温羅は、阿曽女という妻を娶り当時最先端の製鉄技術、建築技術等を伝え大きな国を造った。

しかし全国制覇を目論む大和朝廷にとって鉄を扱う温羅一族は面白くなかったのだろう。そこで武勇に秀でた五十狭芹彦命を差し向け戦わせた。大軍が迫れば国を守る為に温羅は鬼になって戦わざるを得なかった。しかし最後は目を射ぬかれ、雉や鯉に化けて逃げるも執拗に追われ、死してなお辱めを受け続けた。

そんな温羅を想うと何ともいえない切ない気持ちになる話は変わるが、温羅の部下達はどうなったのだろうか。調べてみた。すると桃太郎に敗れた鬼達は四国に逃げ込み、またその地で成敗され、以来そこの地名は「鬼無」になったというのだ。

鬼が滅ぼされていなくなったと現代では解釈されているが、最初から非道な鬼などいなかったので「鬼無」と呼ぶようになったのではないのだろうか。吉備津彦命を祀った吉備津神社が岡山にはある。その境内にはなんと温羅も祀られている。これは勝者の吉備津彦命も温羅に対して敬意を表していたのではと思う。

まだ続く〜

桃太郎伝説 第5回
〜続き〜
■温羅とは鬼だったのか
伝承を読んでいると、明らかに勝者の目線で書かれている。敗者から見た桃太郎伝説を語る前に、少し事実と交えて伝承を整理する事にする。
今から三十年程前のこと、鬼ノ城の伝説があった山が火事になった。鎮火後、焼け跡から見慣れぬものが現れる。それは古い形態の石垣だった。

その後の調査の結果、それは古代(有力なのは7世紀頃とされるが未だ年代は特定できていない)に建設された朝鮮様式の山城址だと判明。更に調査を進めると、東西南北に四つの門、6つの水門、全国的にも珍しい防衛の為の角楼や、のろし台、食料貯蔵庫跡や水汲み場まであり、敵の侵略に備えて住民をも匿えるようにもなっていたと考えられた。

鬼ノ城とは標高400メートルの山に築かれた全周2.8kmにも及ぶ防衛施設だったのだ。また岡山県は古来より鋳物生産が盛んに行われていた。吉備津神社には古い鉄製の釜があるし、この地方には更に古い金属器も出土している。
また桃太郎伝説に登場する温羅が、矢を射られ片目を失うのは、日本各地に残る片目、片足の伝説、蹈韛を髣髴とさせる。

その左目から流れる血が血吸川となったという伝説は、鉄分を多く含んだ赤土から鉄を取る際、川で洗ったので血のように赤かったとも考えられる。
血吸川が合流する川を足守川というが、足を守る(蹈韛衆は鉄を溶かす際、鞴を片足で踏むので片足を痛めやすい。だから痛めた足を庇っていたのでは…)というのも片足伝説に繋がる。つまり温羅一族は産鉄民だったのだ。

桃太郎伝説 第4回
〜続き〜
まず温羅はその身を童子に変え岩の下に隠れようとしたが、五十狭芹彦命は呪力でこれを防ぐ。次に温羅は雉に変化し空を舞うが五十狭芹彦命は鷹になり襲い掛かる。
なおも逃げようとする温羅は、今度は鯉に化け川に飛び込むが、そうはさせじと鵜に化けた五十狭芹彦命が後を追う。そうして終に温羅は捕らえられ、首を刎ねられたのだった。

その後、温羅の首は串刺しにされ晒し首となったが、温羅の怨念は凄まじく何時までも不気味な唸り声を上げ続けた。そこで五十狭芹彦命は部下の犬飼(養)武に命じ、首を犬に喰わせた。※3しかし頭蓋骨になりはてても温羅の唸り声は止む事はなかった。

たまりかねた五十狭芹彦命は、頭蓋骨を茅葺宮の釜殿の下に穴を掘り埋めてしまったが、一層唸り声は酷くなっていった。それから13年の月日が経ったが未だに唸り声は続いていた。ほとほと参った五十狭芹彦命だったが、ある日彼の夢に温羅が現れ、こう告げた。「我が愛した阿曽女を連れてまいれ。阿曽女を持って我を祀るならば声も鎮まろう。そして釜で占うがよい。吉事の時、我の首は穏やかに鳴り、凶事の時は荒々しく鳴るであろう※4」こうして、呼び出された阿曽女によって温羅が祀られるようになると、恐ろしい唸り声はパッタリと止んだ。

永きに渡った戦いもようやく幕を降ろすことになった。仕事を終えた五十狭芹彦命は吉備津彦命と名を改め、吉備臣の祖先となった。吉備津彦は死後、吉備中山に埋葬されたと言う。

※3…1931年、暗殺された総理大臣、犬養毅がいた。この総理大臣の先祖が犬飼(養)武と云われる。
※4…鳴釜神事という。岡山県の吉備津神社では、今もこの神事が行われている。

桃太郎伝説 第三回
久しぶりの更新です。最近知覧に行ってきました。

〜続き〜
だがまだ問題はあった。どれだけ矢を射っても温羅には当たらない。温羅を倒さねば戦には勝てぬ。彼が悩んでいると、どこからともなく童子が現れ※1、「このままでは負けるであろう」と告げた。この童子が只者ではないと直感した五十狭芹彦命は、どうすれば温羅を倒す事が出来るか教えを請うた。「一度に二本の矢を放て、さすれば温羅を討ち取る事が出来よう」童子はそう言い残して姿を消した。

五十狭芹彦命は教えられた通り、二本の矢を同時に温羅に向けて放った!一本の矢は空中で岩と激突したが、残った一本は温羅に届き彼の左目に突き刺さった。五十狭芹彦命の呪力がこもった矢を受けた温羅はたまらず鬼ノ城から転げ落ち、それを見た鬼達も一斉に逃げ出し、温羅軍は総崩れとなった。

温羅は眼から血を噴出し、鬼ノ城から足守川へ流れる小川を真っ赤に染めた。※2しかし戦いはこれで終わった訳ではない。ここからは、温羅と五十狭芹彦命の呪力の戦いとなった。

※1…この童子は住吉明神といわれている。軍神とされ崇められた。
※2…この川は血吸川と呼ばれ現存している。