FC2ブログ
--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007-11-28

一番はじめは… 後編

惣五郎の現在伝わる童歌の一つを父に見せた。以前取り上げた「地蔵寺縁起書」で紹介した「御玉転がし」を用いてこの歌を調べてみたら、何とオリジナルの姿が現れたこんな歌詞だ。

一番初めは一の宮
二は日光の東照宮(とうしょうぐう)
三は佐倉の宗五郎(そうごろう)
四はまた信濃の善光寺
五つ出雲(いずも)の大社(おおやしろ)
六つ村々鎮守様(ちんじゅさま)
七つ成田の不動様
八つ八幡の八幡宮(はちまんぐう)
九つ高野(こうや)の弘法(こうぼう)さん
十は所の産土神(うぶすなしん)

十一神願かけたのに
浪子の病は治らない
轟轟轟鳴る汽車は
浪子と武夫の別れ道
ハンカチ振り振りねえ貴方
早く帰ってちょうだいな
二度と逢えない汽車の窓
鳴いて血を吐く不如帰(ほとどぎす)

一列談判破裂して
日露の戦もはじまった
さっさと逃げるは呂志亜兵
死んでも尽くすは日本兵
五万の兵を引き連れて
六人残して皆死んだ
※七日逢魔のその夜に
八っぱり出たか火の御霊
九つ真言九字切れど
遠の遥かその御霊

十一やっぱり嶋姫か
十二、十三その次と
童子の数をかぞえれば
十四、十五の童子なる
十五の童子引き連れて
最後はやっぱり辨財天
にっこり笑って収めるか
おんそらそばていえいそわか
唱える真言誰が聞く
聞くは佐倉惣五郎
落とす泪は血の泪
辛い想いの惣五郎
見たか聞いたか惣五郎
おんそらそばていえいそわか
おんそらそばていえいそわか

おんそらあ~
そばてい~
えい~
そわかあ~

というのがオリジナルらしい。

※…七番の箇所は「七つ名号阿弥陀仏」と歌う子もいた。


スポンサーサイト
2007-11-24

一番はじめは… 中編

「一番はじめは…」については、前後編の二回で終わるつもりでしたが、三回で終わることにします。前回に続いて11番からの歌詞を紹介したい。
※歌詞の種類には細かい違いがある。詳しくはこちら

これほど信心したなれど
ナミちゃんの病は治らせぬ

ゴーゴーゴーと鳴る汽車は
タケオとナミコの生き別れ
二度会われぬ汽車の窓
泣いて血を吐くほととぎす

タケオがボートに移るとき
ナミコは白いハンカチを
振り振りながら、ねえあなた
はやく帰ってちょうだいな

一列談判破裂して、
日露戦争始まった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
5万の兵を引き連れて
6人残して皆殺し
7月8日の戦いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロポトキンの首落とし
東郷大将万々歳
大山大将万々歳
中条大将万々歳


10番以降はこんな歌詞となっていた。何か悲惨な歌詞だ。童歌には本当に驚く事が多い。これを歌った小さな子供は意味も分からず歌っていたのだろう。さて、これを考えてみたい。後半は日露戦争を歌ってる。ほととぎすは漢字で書くと「不如帰」となる。帰ってこないようなイメージだ。反戦を歌ったものかと思ったが、何かそれだけではないと思った。ナミちゃんんと日露戦争は関係がないのでは…。佐倉惣五郎を含んだ10番まではやはり古いもので、後半は後年作られたのでは…。考えれば考えるほど謎だらけだった。
ただ一つ思えるのはナミちゃんは佐倉惣五郎の祟りで死んだのでは?、 また日露戦争で生存者6人という記録はないので、これは惣五郎の祟りである村の村人が六人しか生き残らなかったのでは?という事だ。
人に伝わりながら、付け加えられながらして最初の姿が隠れてしまっていると感じた。
2007-11-22

一番はじめは・・・ 前編

前回、佐倉惣五郎について紹介したが、彼に因んだ童歌があった。こんな歌だ。

一番初めは一の宮
二は日光の東照宮(とうしょうぐう)
三は佐倉の宗五郎(そうごろう)
四はまた信濃の善光寺
五つ出雲(いずも)の大社(おおやしろ)
六つ村々鎮守様(ちんじゅさま)
七つ成田の不動様
八つ八幡の八幡宮(はちまんぐう)
九つ高野(こうや)の弘法様(こうぼうさま)
十で東京招魂社(しょうこんしゃ)

地域によって微妙な違いや続きがある手毬歌だ。11番からは、近代の戦争関係の歌となっている。この歌が何時頃からあるのかは判らないがそれほど古い歌ではないのかもしれない。それとも1~10番は古く、それ以降は近代の可能性もある。上記歌詞について考えてみた。

1番の一宮とはその国(今で言う都道府県)で一番格式の高い由緒ある神社のこと、2番は天下統一を成し遂げた徳川家康公、その次に何と「佐倉惣五郎」が来ているその後に全国に信者がいる善光寺、日本三大神社の一つ、出雲大社、村の氏神等々、凄い名のある神々が登場するが、それよりも人間、惣五郎が上位に食い込んでいるのだ。これは「我々の為に散っていった惣五郎を忘れない為に歌にする」という当時の人々の強い想いと感謝があったのではないのだろうか。

藩主から見れば罪人となる惣五郎。見せしめという意味合いも含めて一家惨殺となった。残った村人もおいそれと口には出来ない。ならば子供の童歌に託そう。子供の遊びなら、役人にも分かりづらい。
庶民に伝わる、感謝と悔しさが同居している歌だと思った。

2007-11-21

義民伝

いつだったか、所属している経営者の勉強会で、皆で芝居を見に行ったことがあった。内容は江戸時代にいたとされる義民「佐倉惣五郎」だ。

時は江戸初期、下総(千葉県)佐倉藩、領内で名主を務めていた男の話だ。
当時、あまりの重税に耐えかね何とかしようと奔走するものの結局どうにもならない。藩主に会うことも出来ない。このままでは村人が飢えてしまう。そこで意を決した惣五郎は村の代表として幕府に直訴する。
芝居の最後は、必死に止めようとする家族を振り切り、雪の中を走り去るという感動的な場面で幕を閉じた

その後、惣五郎がどうなったかを調べてみた。惣五郎の命懸けの直訴は幕府に受け入れられたが、幕府からお咎めを受けた藩主「堀田正信」の怒りを買い、惣五郎夫婦は磔に…。残った子供4人は打ち首となってしまった

堀田正信はその後乱心し、それが切っ掛けとなって堀田家は滅びたという。それが人々に広まり「惣五郎の祟りだ」と噂された。

そして惣五郎一家は将門山(これはきっと何かある)にお堂が建てられ祀られることとなった。人が神となったのだ。どうやらこのお堂、滅びた堀田氏の子孫が建てたらしい。祟りをなす存在だった惣五郎一家の霊も丁重に祀られる事により、その怒りは収まり今度はご利益に変わっていった。

この話、日本の神社の代表的なパターンの一つです。

2007-11-17

堀川沿いの童歌

名古屋市の熱田、及び金山周辺の歴史等を調べていく中、不思議な童歌があることを知った。それは名古屋に流れる運河、堀川沿いに伝った童歌だ。それはこんな歌詞だ。

一の鳥居
二の鳥居
山王様
四軒所
五坊様に
六角堂
七面様
八幡様
九恩寺
十憐寺

十憐寺の小坊主 鐘つき堂からぶち落った
なんまいだー なんまいだー


1から始まって10までが熱田周辺の寺院などの名所の名にかけてある。1と2は熱田神宮の第一、第二鳥居だ。ここまでは特に不思議のない童歌だが、最後になんと十憐寺の小坊主が鐘つき堂から落ちて死んでしまうのだ

原音を聞いた時は少し物悲しく聴こえたが、最後にさらっと流すこの部分をよく考えると、実は恐ろしい歌なのではと思える。
何時かは分からないが、何かがあって小坊主が落ちて死んだいうのは事実だったのだろう。この童歌、何か隠された意味があると思った。
2007-11-13

歴史と地名

愛知県にある甚目寺町の神社を調べている時、「反魂香」なる町名を見つけた。
魂が返るお香、死者が復活するお香という意味だ。
調べてみると、これに纏わる地元の伝説が出てきた。

時代や細かい内容などは分からないなので、
一度調査に行くつもりだが、だいたいこんな話だ。

「昔、藤姫という姫がいた。都にいた父、橋本中将を訪ねる途中、
旅の疲れで萱津の宿で死んでしまった。
正法寺東厳和尚が「反魂香」焚いて父に会わせた」というものだ。

この反魂香、調べてみたらその存在はかなり古くからあったが、
詳しい製法などは判らないようだ。

町名というものは、付けた理由がある。
それに至った昔話など、過去を調べる重要な手がかりを持つことも多い。
近年、町の合併や発展等によって大幅な町名変更を目にする。
誰が勝手に決めるのかは知らないが、
これって立派な文化の破壊なので弄って欲しくないなぁ
2007-11-09

子供に伝わる話 「花子さん」 その3

~11月8日からの続き~

かつて東北地方で起きた、とある殺人事件があった。
遠野にとある警察官の幹部がいた。家族は五人。妻と息子、二人の娘。

家は遠野小学校の真裏にあった「武徳殿」という官舎で暮らしていた。
夫は女癖が悪く遊女と親しくなりある時二人で温泉に出かけた。
それを知った妻は嫉妬のあまり恐ろしい行動を選択した。一家心中である。

妻はまず息子と次女を絞殺した。
当時小学生だった長女の「いく子ちゃん」は恐ろしさのあまり官舎から学校へ逃げ、
体育館裏にあった共同トイレに身を隠した。
その時、用務員のおじさんがトイレに隠れる「いく子ちゃん」を目撃していた。

やがて母親が探しに来た。娘の事を尋ねられた用務員のおじさんは、
「トイレの個室、奥から三番目に居ますよ。」と教えてしまった。
異常に嫌がりながら連れて行かれる「いく子ちゃん」を見て用務員のおじさんは奇妙に思ったという。

そして翌朝一家は変わり果てた姿で発見される事になった

「いく子ちゃん」は細面、切れ長の目をしたオカッパ頭で
よく質素なスカートをはいていたと言う。

この事件の後、体育館裏の共同トイレの奥から三番目に入ろうと、
三回ノックするとノックが三回帰ってきたり、女の子を目撃する生徒が現れるようになった。

以上が「トイレの花子さん」の原点となった史実だ。
「花子さん」と「いく子ちゃん」との違いはあるが、ほぼこれに間違いないと思った。

今でこそ、悲しいかな親が子を殺したり、子が親を殺すという事件は珍しくなくなってきたが、
まだ道徳教育がしっかりしていたこの時代に起きた事件としては大きな衝撃があったと思う。

やがてこの話が人々の間に流れ「トイレの花子さん」になっていったではないのだろうか。

おしまい。




2007-11-08

子供に伝わる話 花子さん その2

さて「トイレの花子さん」を細かく調査した人の記事を
家の本棚にあった古本の中から見つけた。

それによると、花子さんの話には幾つかの特徴があった。

①おかっぱ頭の女の子である。
②学校内のトイレ、奥から三番目に現れる。
③赤いスカートをはいている。
④その場所で三回ノックすると返事がある。

などが挙げられる。

全国各地に残る花子さんの話は、微妙に違っているが、上記の事柄は共通しているようだ。
都市伝説というものは、人を介在する事により尾ひれがついて一人歩きする。
同じ話が、北と南では全然違う結末になっていたりすることもある。

発信元が不明な場合もある。

しかし著者が足を使って調べた結果、
花子さんには、そのパターンを裏付けるような殺人事件が実在していた

その話は昭和12年に遡ることになる。

~続く~
プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。