もみじの記録帳
古き良きものや、日々の気付き、思ったことを気ままに記録しています。
金精神
一般的には田縣神社のような御神体の事を金精神(こんせいじん)と言う。調べてみた。ブログを始めなければ調べもしなかっただろうな。

金精神、別称では金精大明神、根精神、カナマラ様、チンポ神(…まんまだ)と言う。金精神信仰は性器を生産、再生の霊力を持つと考え神格化したところから生まれた信仰の一つだそうだ。先史時代の遺跡からもこれに関係する遺物などが発見されている事を考えると、相当古くからあった民間信仰だ。

明治に入り文明開化と共に、酷い宗教弾圧にあった。西洋の文明国からみて野蛮(卑猥?)に見られると考えた明治政府は、それまであった日本の性器を露骨に表現した風習を徹底的に排除しようとした。その槍玉に挙げられたのが金精神だった。

しかし、無くなる事はなかった。民間に伝わる根強い信仰があったからだ。また、外国の研究者がこれの重要性を挙げた事も大きかった。

ここからは私見だが、今日まで残った理由には下ネタ好きの人々が多かったんじゃないかなと思う。自分の周りでも下ネタ好きが多いからだ。
自分はそうでもないけど、日本人のDNAに下ネタ好きというのがあるのかもしれない。

名古屋のラジオ局で一番聞かれている「CBCラジオ」のアナウンサー、小高直子さんがラジオショッピングで手ぬぐいだったかハンカチの紹介をしていた時、柄の市松模様を言い間違えて、イチモツ模様と言っていたのを思い出した。



田縣神社
愛知県小牧市の田縣神社は、天下の奇祭と呼ばれる祭りで世界的にも有名だ。
御祭神は大歳神と玉姫命。何故に有名かと言うと、御神体が男の性器(以下シンボル)だからだ。祭りには巨大な神輿からはみ出るシンボルを担いでいる。

噂には聞いていたが、初めて行った時の感想は「やり過ぎだろ、これ」だった。そこら中にあるシンボル。お賽銭を入れると、「チーン」と音が出る仕組みの賽銭箱。隣接しているお土産屋さんに至っては、ほぼ全てのものがシンボル尽くし。
置物、貯金箱、饅頭、スティック付きキャンディ(これは、ねーだろ)
など等。あっけにとられた

最近、経営者の勉強会で知り合った、Sさんから面白い話を聞いた。
昔、田縣神社の境内には「秘宝館」なる建物があったらしい。
内容は成人指定の施設で、かなりエゲツナイ内容だったようだ。
現在、その建物は撤去され家が建っているらしい。
住んでる人は知らないのだろう。知らない方が幸せかも…。

元々は「生命」に関わる原始的な古い神だったのだろう。
古代の人が今の状況を見たら驚くだろうなぁ。





熱田神宮について その3
〜続き〜
「草薙の剣」が熱田を離れた理由を「朝廷に召し上げられた」として考えてみると、祭りの意味が段々と分かってくる。こんな仮説を立ててみた。

熱田一族にとって宝以上の信仰そのものであった「草薙の剣」が朝廷の命令で没収になってしまった。しかし、神剣が朝廷側に行った途端、不幸な事が立て続けにおきた。これを草薙の剣を持ってきたせいだと思い慌てた朝廷側は元の場所に返した。戻ってきた「草薙の剣」を見て、熱田の一族は歓喜した。しかし、朝廷の手前、大喜びするわけにはいかない。だから、夜中にこっそり森に入り、誰が誰だか分からないように念入りに面を被り、声を押し殺すように笑ったのではないのだろうか。

開かずの門が北東(鬼門)に建てられたのも、二度と「草薙の剣」が熱田を離れないようにした、何か風水的な儀式の一種だったのかもしれない。

結局のところ、真実は分からない。あれこれ考える事しか出来ない。
でもこうして考えるのは結構おもしろいと思う



熱田神宮について その2
〜続き〜
ヒントは熱田神宮のHPにあった。
熱田神宮には数々の名所、旧跡があるが、その中に「開かずの門」というものがある。
HPによれば、

清雪門(せいせつもん)
末社楠御前社の北東に位置し、俗に不開門(あかずのもん)といわれ何百年来かたく閉ざされています。天智天皇7年(668)新羅の僧が神剣を盗み出しこの門を通ったといわれ、以来不吉の門として忌まれたとも、神剣還座の際門を閉ざして再び皇居へ遷ることのないようにしたとも伝えられています。


とある。これは「草薙の剣」が嘗て一度盗まれたり、皇室に戻されたり
したという事が分かる。少なくとも最低二回は熱田を離れた事になる。

考え過ぎかもしれないが、後者などは戦国時代の言葉だが、
天下統一した人物が各地の大名から宝を召し上げる「名物狩り」
を行っていたがそれを連想させる。

二度離れた「草薙の剣」だが、何故か二回とも熱田に戻ったその内一回はどこに行くかさえ分からない絶望的な状況だったのに。

「草薙の剣」を布越しに触った侍の話を思い出した。
部外者が触れただけで失明するような凄まじい力があるくらいのものだ。ひょっとすると、盗んだ僧侶や、朝廷の関係者に何かあったのかも…。   
この話、まだ続く。







熱田神宮について その1
日本三大神社の一つに数えられる熱田神宮。
御祭神は古事記にも登場する、三種の神器の一つ「草薙の剣」だ。

荒ぶる神、スサノオノミコトが怪物八岐大蛇を退治した際、
その尾から出てきた宝剣で、創建以来誰の目にも触れた事が
ないという。余談だがその昔、とある豪胆な侍が無理やり入り
被さっていた布の上から「草薙の剣」を触ったらしい。
その後失明したそうだ。

熱田神宮についてはまだまだ調べたい事が沢山あるが、
調べていく中で、変わった祭りがあると知った。

それは、面を被った神主達が、夜中に熱田の森に入り、
「ホーッホッホッホッホ…」とただ笑うというものだ。
熱田神宮では様々な祭りや行事があるが、この祭りに関しては、
全国的に見ても類例がないユニークな祭りだ。

何故こんな変わった祭りをするのか考えてみた。
そのヒントは熱田神宮の歴史にあった。
長くなりそうなので次回に続く。



近藤勇
岡崎市に法蔵寺というお寺がある。
家康が竹千代と呼ばれた頃、勉強した部屋や、
奈良の大仏建立に多大なる貢献をした僧侶、
行基が彫ったという伝承がある仏像(秘仏)などがある。

岡崎には古い寺が多いなと思いながら境内を散策していたら、
意外なものに遭遇した。

幕末史において有名な新撰組の近藤勇の首塚があったのだ。
何でも昭和になってから、寺から出てきた文献を基に、
境内のある場所を発掘調査したところ、地面の中から墓石が
出てきたらしい。
現在、この墓石はきちんと祭られ、脇には近藤勇の彫像が建てられている。
墓石を見ると、ほんとに薄い岩でそれを見て墓石と気付く人は
いないだろうと言う様な寂しいものだった

ここからは推測だが、当時、有名人とはいえ、
明治政府から見れば、逆賊としか見られなかったのだろう。
お寺としても当時の住職と親交があった近藤勇を、
手厚く葬ってやりたい。しかし明治政府の目もある。
だから、ぱっと見墓石とは思えないような
小さな墓にしか出来なかったのではないのだろうか。
新撰組が正義だったのか悪だったのかは分からない。
でも彼らにも徳川幕府の為という命を掛けた志があったと思う。

偉人としては申し訳なさそうな小さな墓を見て、
歴史は勝った方が作っていくんだなと感じた。

詳しくはこちら
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei072.htm




龍神の池
名古屋市の某所に勅使の名がつく小さな神社を発見した。
天皇の使いが当時来ていたという意味で付けられた社名だとすると、
歴史上、重要な場所だったのだろう。

一度参拝に行く事にした。地図で確認した所、神社の真裏が
大きな池になっているようだ。

神社に到着して、何か異様な雰囲気を感じた。
明らかに何か怒っている感じだった。(そんな気がした)

本殿に近寄って参拝し、池の方を見たら愕然とした。
池の水が殆ど干上がり、池の中央付近に無人のブルドーザーが
放置してあった。

ここの神社、御祭神は龍神様で、本来なら池を背後に本殿が
あった筈だが、池の横を向いて建っている。
龍神は水を現す神なので、この神社の場合、真の御祭神は池だったのだ。

この周辺には何かあると思い、カーナビの検索機能を使って、
自車周辺の寺、神社検索を試みた。
その時、不思議な事が起こった。買ったばかりのカーナビだったが
検索画面では順調に動くのに、寺、神社の検索欄を選択すると、
カーナビが止まってしまうのだ。
他の項目、店、施設、トイレは検出されるのに…。
何度検索しようとしても拒否されるので、境内にいるからいけないのかと思い、
神社を離れた50メートル程の所で再検索した。

一発で検索結果が出た

疑問だらけだったので、帰宅後この神社について調べてみた。
以下の事が判明した。

1、池を埋め立てる事業計画があった。
2、風光明媚な環境だったので住民の反対が多数あったが着工した。
3、原因は不明だが、この計画は途中でストップした。

最近になって、この池が元に戻りつつあると知った。
工事が止まった理由は、誰も語らないだろうが、検討はつく。
良くない事が立て続けに起こったのだろう。

また2について、住民の反対理由がHPで紹介されていた。
沢山の反対意見があり、全て目を通したが、「龍神様の池だから」
と言う意見が一つも無かった。

龍神様が気の毒になった。と同時に寂しくもなった。
人々にだんだん無くなっていく「畏れ」という気持ちは、
「謙虚さ」に結びつくと思う。




竹薮から…
母の実家には、昔敷地内に竹薮があった。
父は、盆正月に母の実家を訪れる度、何時も竹薮から
何かに呼ばれるような感覚があったという。

年月が経つ度、その感覚は段々と強くなってきた。
ある日、父は母の両親に、
「竹薮の中に何か埋まっている気がする。何か出てきたら貰ってもいい?」
と尋ねた。不思議そうな反応だったが、許可を得た父は竹薮に入った。

我が家には先祖から伝わる勾玉がある。古墳時代の古いものだ。
勾玉には丸い部分に穴が開いている。
そこに組紐を通し、勾玉がぶら下るように紐部分を握った。
そんな状態で竹薮の中を暫く歩いていたら、とあるポイントで「ググーッ」と勾玉が重くなった。

そこを少し掘ったら30センチ近い百足が出てきて驚いたが、
百足が去った直その数センチ下に、何と仏像が逆さまになって埋まっていた

銅製の釈迦如来で、新羅時代くらいの古い仏像だった。
母の両親に報告すると、目を丸くして驚き、
「どうしたらいいか判らないから持って帰って」
という事になった。

現在、我が家では桐箱で厨子を作り、大切に祀っている。



虫の知らせ
片側五車線の道路で信号待ちで停車していた。
仕事に行く途中で、右から二つ目の車線にいた。
直進するつもりだったが、突然「右に移らなきゃ」と思い、
右折レーンに車を移動した。

移動した後、「何で俺移ったんだ?」と考えたその時、
移動前の車線で凄い音がした。追突事故が発生したのだ
ブレーキの音は全くなく、大きな衝撃音だけが響いた。
ぶつけたドライバーは片手に携帯を握っていたので、
電話に夢中で反応が遅れたのだろう

時間で言うと、移動して三秒後くらいの出来事だった。

あの場に留まっていたら、車は挟まれて全損、
事故の様子から見て、酷い鞭打ちになっていただろう。

虫の知らせってこういうのを言うのだろうか。

血天井
父が寺、神社好きな事もあり子供の頃から様々なお寺を訪れた。
今尚記憶に残っているお寺は多いが、京都は三十三間堂の近所にあった、お寺(名前は忘れた)は強烈だった。

そこには「血天井」なるものがある。大阪の陣で負けた豊臣方の侍が
ある建物の板間で集団自決をした。切腹である。

腹を突き刺し、そのまま倒れ込み、流れる血が人型を作った。
他に手形も幾つも残った。徳川の世になり、その板の処分に困った人が
供養の為にお寺に奉納し、そこの寺の天井に使われたのだ。

お寺の人が言うには、昔は夜中に誰もいないのに複数の人間が
走り回る音が聞こえたらしい…

生々しい敗者の歴史を観る事が出来ます。   合掌

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岐阜の大仏
岐阜県は金華山の麓に大仏がある。
奈良、鎌倉につぐ、日本三大仏の一つだ。
お寺好きの私は、既に三つともコンプリートしたが、
中でも岐阜の大仏が一番感動した。

この大仏14メートルという巨大な江戸期の仏像で、
木と紙で造られている。

奈良や鎌倉の大仏は時の権力者が命令で建立したものだが、
岐阜の大仏は、たった一人の僧侶が民衆の救いの為に、
全国を托鉢に廻り、発足して38年間掛けて完成させた。

この僧侶は完成間近で亡くなったが、その後は弟子が引き継いだ。
一人の情熱と弛まぬ努力が皆を動かし、
大きな奇跡を成し遂げたと思う。

これ、まさに「志」です。

岐阜の大仏
http://www.city.gifu.gifu.jp/kankou/miru_05.html


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もーもたろさん♪ ももたろさん♪ その1
誰もが知ってる昔話、桃太郎。
桃太郎と鬼が戦うという有名なあの話です。

実は桃太郎にも、登場する鬼にも名前があると知った。
桃太郎は五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、
鬼は温羅(うら)という。
調べてみたら、とても興味深いものだった。

桃太郎伝説で最も有名なのが岡山県だが、
実は愛知県にも桃太郎所縁のものがある。

犬山市の「桃太郎神社」と安城市の「五十狭芹彦命の古墳」だ。
前者は行った事がないので、機会があれば行ってみたい。

噂だと桃太郎の不思議(不気味?)なオブジェがいっぱいあるらしい。

それはそうと、この話は次回に続く…かな。

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為夫
何年か前に豊川稲荷に行った時の話。
門の横に古い金属製(銅?)の灯篭が対であった。
なかなか見事な灯篭で、足元には、その昔、お布施をした
人達の名前と金額が彫ってあった。

金五百両…何がし
金三百両…何とか左衛門

読んでいたら、一番沢山お布施をした人の横に
悪戯で「為夫(ためお?)」と彫ってあった。

名前からして結構前の悪戯だろう。明らかに最近の名前じゃないし。
為夫本人がやったのか、為夫が悪戯対象になった被害者なのか。

謎は深まるばかりだが、これって文化財の破壊なので
絶対やってはいけない事です。はい。
こんな事で後世に名前は遺したくないよなぁ。


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ブログ開始
名古屋市千種区に茶屋ヶ坂という場所がある。
そこの茶屋ヶ坂という名の交差点の坂を上った所に神社がある。
小さな森に囲まれた雰囲気のある神社だ。

ある時、その前を通ったら「あれっ?」と思った。
更地になっていたのだ。建物も森も何にもない…。

数ヵ月後、またその場所を通った時、我目を疑った。
コンビニになっていたのだ

嘗ての本殿の場所は店舗になり、駐車場の隅の一角に
小さな社がちょこんと出来ていた。

世の中の流れは速い。無くなっていくものは沢山ある。
そんな時、心の底から湧き上がってくるものがあった。
「変わるものはあるけど、変わってはいけないものがあるのでは…」
真新しいコンビニを見て、そう感じた。


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