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2017-12-07

◆猫の歌

変わった家だからか、紅葉屋のお客様の中には、当店のことを「個人宅では名古屋最大のパワースポット」と呼ぶ方もいます(笑)

確かに住んでる私から見ても、よくよく考えると大変面白い家でもあります。

また父が特殊な才能を幼少の頃からもっていることもあり、家で祀る稲荷神の声を聴くことが出来るようです。よくお喋りしています。

そんな時、父はよくペンをとりメモを書いていますが、稲荷神、というより神々とのやり取りは5・7・5・7・7の歌を用いています。


で、今回のお話ですが、我が家のお稲荷さんが家で飼っている老猫のムーちゃんを見て歌を詠みました。

この時、ムーちゃんは店におりました。



あらさむの
ねこのるすばん 
おもしろや
(稲荷)



と詠み、それを聞いたムーちゃんはこう思ったそうです。(猫は稲荷が見えるらしい)


おもしろの
おもくろもない
たいくつの
ねこのいっせう(一生)
ながくみじかく
(猫のムー)



補足すれば、猫の気持ちを読んだ稲荷神が歌として代弁したということでしょう。


「あらさむ」という言葉は室町時代くらいの表現で、寒いなぁということです。


猫が店番している。面白いなという言葉に対し、面白くも黒くもない退屈ですと答えたということ?です。


不思議な父を親にもったおかげで、日々色々あって楽しいですね。


現代版の日本霊異記のような感じです。


そりゃ、猫や犬も毎日考えてるし、思うこともあるだろうな・・・。


神仏の話を聞くと頭から否定する、あるいは無関心という方も多いですが、日々これだけいろいろあると、家族のように身近に感じるのが普通になってますね。ある意味疑いなく信じれるというのは有難いことです。


お猫
猫のムーちゃん




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2010-11-30

ぽちの御転玉 その3

~続き

以後も続くが、本人が辛くなるとのことであったので、ここまでとする。
父が子供の頃に書かれた御転玉を紹介したが、この続きは何処かにしまってあるそうだ。

読んで頂いた方は気付いたと思うが、全ての言霊の数が「5」や「7」で区切られている。

話は変わるが以前購入した本で「ホツマツタエ」というものがある。
難解な本なのでまだ未読だが、何でも日本国の創建と古代日本の文明が詳細に書かれているという。
最古の文献が江戸時代中期頃に書かれたと云われ、現在でも研究者の間で真偽の程が争われているそうだ。

もみじは、これを少し読んでみたが、言葉が「5」や「7」で全て区切られていた。
誰が記したのかは不明だが、これは多分、先祖代々残された口伝や書の類から編纂されたものではなく、
父のような何かしらの能力を持った人により書かれた、「御霊転(みたまころがし)」だと思う。

これの凄い所は、書く本人が歴史や諸々の知識に全く無知でも、物語を完成させることが出来るのである。

話をぽちの御転玉に戻す。

御転玉の中に「魂魄」という言霊が登場した。そして「魂(こん)」の部分は天上へ、
「魄(はく)」の部分は地上に残るとあった。

「魄」とは何ぞやと思い考察してみた。まずこの「魄」という文字は、漢字が生まれた中国では
「魄とは、人が死に魂が抜け出た身体、それがやがて朽ちて残ったもの」であると云う。

これはつまり「骨」を指している言葉のようだ。ただ、「ぽちの御転玉」を読むに、
「魄」とは強い悲しみ、あるいは恨み等の『想い・念』のように思う。

ぽちの話を父から聞かされた時は大変ショックであった。
とても自分には理解出来なかった。

昨今は日本の子供の人口よりペットの数のが上回っているという。
ペットショップも増えて手軽になったが、縁のあった命は最後まで看るのが勤めである。
また、残された想いがこもった物も扱いを考えねばなるまい。

「命を大切に」「物を大切に」昔の人が残した教えは本当に深いと思った。


おしまい。




2010-11-27

ぽちの御転玉 その2

■ぽちの御転玉

突然来るは二人の男          とつぜんくるはふたりのおとこ
一人は肥えて一人は眼鏡        ひとりはこえてひとりはめがね
冷たい眼差し殺気に満ちて       つめたいまなざしさっきにみちて
前足二つ付け根に皮紐         まえあしふたつつけねにかわひも
首枷口枷八重に十重          くびかせくちかせやえにとえ
身動き成らぬ封じの枷に        みうごきならぬふうじのかせに
引き摺り出されて檻の中        ひきずりだされておりのなか
立ち去る車の音残し          たちさるくるまのおとのこし
犬(ぽち)の姿は消え失せる      ぽちのすがたはきえうせる
役所の人が紙差し出せば        やくしょのひとがかみさしだせば
爾の父は擦る擦ると          なんじのちちはするすると
姓は加藤と名はさむろふと       せいはかとうとなはさむろふと
書きて渡すや家のなか         かきてわたすやいえのなか
殺すと決めたは爾の父ぞ        ころすときめたはなんじのちちぞ
犬にあるかや罪咎が          ぽちにあるかやつみとがが
犬を屠りて安堵する          ぽちをほふりてあんどする
父の心ぞ何とする           ちちのこころぞなんとする
犬は死すとも其の魂魄は        ぽちはしすともそのこんぱくは
弐魂に分かれて御転玉         ふたつにわかれておてんぎょく
壱魂の魂はこんこんと         ひとつのこんはこんこんと
天上遥か上の上            てんじょうはるかうえのうえ
上がりて光の魂となり         あがりてひかりのこんとなり
此の地に残るは魄と成る        このちにのこるははくとなる
首輪に犬小屋阿瑠魅の盌も       くびわにいぬごやあるみのわんも
共に付喪神と成り果てて        ともにつくもとなりはてて
犬の走りし草の地の          いぬのはしりしくさのちの
小石や砂の一粒だにも         こいしやすなのひとつぶだにも
枯木の梢や草葉の先も         かれきやこずえのくさばのさきも
屠られし犬の悲しき魂         ほふられしいぬのかなしきたましい
声ぞ爾に聞かせると          こえぞなんじにきかせると
皆一斉に語り出す           みないっせいにかたりだす
・・・・・・・・・・・・。


続く~


2010-11-26

ぽちの御転玉 その1

「蜻蛉の滝」にて遭遇した不思議な白い犬と黒い犬。
父は、内一匹が子供の頃、飼っていた犬「ぽち」に似ていると思った。

そう思いながら筆をとると、当時の記憶と共に、父の手を借り、
言霊が(本人の意思とは関係なく)ころころと転がり現れた。

言葉は言霊である。霊は「たま」と読む。ここからは今の自分が考えていることを
踏まえて説明するが、「たま」は魂でもあり、弁財天や吉祥天、稲荷神などが、
その力の象徴として持っている「宝珠(ほうじゅ)」の「珠(たま)」も関係していると思う。

言霊が弾むように転がり、本人の意思とは関係なく、文字化し次々と現れることを
父は御転玉(御霊転:みたまころがしとも云う。あるいは稲荷神の場合は御転玉かも)と言っていた。

50年以上前、我家にいた一匹の犬、「ぽち」はある日重い病(癌だったとか)になる。
父が学校に出かけていない間に、祖父は保健所に頼んで犬を処分してしまった。

学校から帰った父は、犬がいないのに気付き両親に問いただす。
しかし、二人とも知らぬと云う。

一週間程して、祖父は犬の小屋や食器を捨てようとする。
「いつか帰ってくるから、そのままにしておいて」と懇願する父を無視して、
犬の記憶が残る遺品は尽く捨てられてしまった。

ぽちが何故いなくなったのかは、本人には語られなかった。
しかし、父は残された食器、犬小屋、鎖などから一体何が起こったのかを知らされたと云う。

子供の時から特異な能力を持っていた故、犬の念を受け※「付喪神(つくもがみ)」となった
遺品からメッセージを受け取ったのだ。

大変悲しい言霊だが、次回紹介します。


※「付喪神(つくもがみ)」…古来より、長年使った物に神や霊魂が宿ることがあると信じられた。

2010-11-12

虻と蜻蛉

『蜻蛉の滝(せいれいのたき)』に残る二つの伝説。一つは豊臣秀長が身投げしたというもの。

もう一つが、虻(あぶ)と蜻蛉(とんぼ)に纏わる伝説である。
それはこのようなものであった。

第二十一代、雄略天皇がこの地に※行幸の際、狩りを楽しんでいた。
一匹の獣に狙いを定め、自らが射ようとした時、突然大きな虻が現れ、
天皇の肘に喰らいついた。

すると、何処からともなく蜻蛉が現れ、その虻を咬み殺してしまった。
雄略天皇はたいそう喜び、この地は以来、蜻蛉野(あきつの)と呼ばれるようになった。



文字にすると短いものだが、この話には隠された古代史が観えるような気がする。

まず雄略天皇なる人物を調べてみた。
雄略天皇は418~479年に存在し、天皇在位期間は456~479年であった。
その気性は激しく、先代天皇の安康天皇(あんこうてんのう:401~456年)が、
次の皇位を雄略天皇の従兄にあたる市辺押磐皇子(いちのべおしはみこ)にしようと
しているのが判明するや、雄略天皇は市辺押磐皇子を射殺してしまう。

また安康天皇の最後も、皇后の連れ子の手により暗殺されている事が分かった。
いつの世も権力争いはドロドロしている

では虻と蜻蛉とは何か?

これは、虫の姿をとっているが、もみじは人間だと思う。
そして狩りをしているという話は、狩りではなく戦争だったのではないのだろうか?

そうするとおぼろげながら話が観えてくる。

獣とは虐げられた民のことであり、それを阻止せんと虻にされた豪族が戦いを挑む。
そしてその虻と戦った、あるいは裏切ったのが蜻蛉にされた人物だった。

つまり、朝廷に逆らったものは人ではなく虫に(あるいは鬼、妖怪)され、
反逆した虫を迎え撃つのも、朝廷にひれ伏した虫(一族)が当たるということなのだろう。

勝った方も負けた方も、朝廷側からは蔑視された虫なのである。

蜻蛉の滝で、実際に誰と誰が戦ったのかは分からない。
名前を調べても出てきそうもない。

ただ、あの写真から伝わる、どこか重苦しい雰囲気は、かつてこの地に
只ならぬ出来事があったことを今に伝えていると思った。



※行幸…天皇が外出すること




プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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