2016-05-05

◆名古屋駅裏「の神社

ビックカメラに用事があったので、名古屋駅の西口に出かけた。用事を済ませて帰り際、ふとこの界隈にある神社のことが頭を過ったので、すこしだけ寄り道をした。

稲穂社5


稲荷神を祀る小さな神社だ。今まで沢山の神社をお参りに訪れたが、お寺と違って神社の方は、強烈な印象が残った場所が多い。その印象に残った神社の一つが駅裏方面にあるこの稲穂社だ。

稲穂社4


お分かりだろうか?神社の鳥居の入り口にいきなり鉄柵である。正面から入りお参りが出来なくなっているのだ。

この鳥居を正面に見て、右側にもう一つ入り口がありそこから境内に入れるようになっている。

稲穂社6

中に入って更に驚くのがお社だ。入り口の鉄柵と同じく、神様を祀るお社も鉄柵の向こう側にあるのである。

稲穂社2


まるで牢屋だ。観光地になっているどんな大きな神社でも、地元で愛される地方の小さな神社でも、神様を鉄柵の内側に祀っている光景は見たことがない。

そして境内をよく見渡せば、こんなものもあった。

稲穂社1


有刺鉄線だ。人が入らないようにするためなのかもしれないが、異様な光景だ。

稲穂社3

社歴を見ても、これといったことは分からない。

稲穂社7

狛犬は何か知っているのだろうか?

昔は境内に勝手に住んでいたりしたホームレスでもいたから、用事が無い人は入るなとの看板があったのか?ならあの鉄柵は賽銭がとられないように設けたのか?

それにしても、稲荷を祀るお社を鉄柵の向こう側に入れてしまうという理屈は現状ではさっぱり分からない。これではあまりに神様が気の毒だ。

稲穂社8

この狛犬の後ろに、この神社の御神木と思われる太い木があったが、ちょっと写真が撮れなかった。これも見たことがない光景だったが、御神木と思われる木にも有刺鉄線が巻かれていたからだ。

稲穂社9

名駅周辺には他にも旧そうな神社がある、厳島神社と須佐之男社だ。後者は社名が変わっていて本来は牛頭天王を祀っていたのかもしれない。

結局こちらの神社が何故こんな鉄柵だらけなのかは、さっぱり分からないままだ。最初に訪れたのは7.8年前だったと記憶しているが、結局謎は分からないままだった。



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2016-02-16

国府宮の鏡餅

2月20日に行われる裸祭りに奉納する鏡餅を作る行事があったので参加した。

そもそもは義理の両親の住んでいる地区が、何でも60数年振りに鏡餅を作ることになったので、滅多にない機会だから来ないかと言われたのが切っ掛けだった。

全国的にも有名な国府宮の裸祭りは、まだ行ったことがない。
その鏡餅を作るというのも大変貴重な経験だと言う事で、参加しようと思った。

正直、行く前は公民館とかを借りて、その中で大きめの鏡餅を作るのかな位にしか思っていなかったが、向った会場に近付くと、それが全く思い違いであったことが分かった。

鏡餅3

広い会場に人々がごった返していたのだ。

鏡餅1

そして、画像だと伝わり難いが、鏡餅が想像していたのと比べてかなり大きかった。

この日は鏡餅を整形するまでの流れで、ある程度乾燥したらお飾りの形にするのだろう。

後で見せて頂いた資料によると、完成予想図の鏡餅は三段構成で、通常の円い餅が大小二段、その上には菱型の餅と、「だいだい」が乗っている。

鏡餅7

この画像が「だいだい」ようするに鏡餅の一番上にのる柑橘類であるが、
当然、あの巨大な鏡餅に納まる様な柑橘類など無いと思うので、それに見立てた和菓子である。

何でも羊羹で作られているとのこと。

会場の大きなステージで整形されていた鏡餅と同時進行で、別の鉄骨巨大テント内では、
10数台の石臼で餅が搗かれていた。

鏡餅10

嫁の親戚の方からお話を聞いて驚いたが、この立派な石臼、この時用の為だけに新調したとのこと。

国府宮鏡餅3

しかも毎年の裸祭りでは、鏡餅を作る道具は、その都度作り替えると言う。

鏡餅11

当然もち米を蒸す蒸篭も全て新調する。

鏡餅6

もう凄い力の入れようだ。しかしあの立派な石臼は、一度使ってその後はどうなるのか聞いたところ、売りに出されると言う。買い手がいるのかと思ったが、直ぐに完売するそうだ。

餅搗き会場のバックヤードを見学したが、米の量も物凄い。

鏡餅5

あちこちに設けた米置場にはもち米が山積みだった。

鏡餅4

祭りと言うものが、神の接待だと言うのがハッキリと分かる現場だった。
国府宮の神さまへの最大級の御もてなしである。

この日の主役は人ではなくこの「御餅」なのだ。

使用された米の量を聞いたが、三段の餅全部で50俵。1俵が60kgなので、3000kg、3tということだ。蒸すと水分が入るので、更に量が増えるだろう。

鏡餅の一番大きい部分、下餅に至っては直径が235センチである。

鏡餅8

また、他にも奉納する鏡餅が沢山作られていた。

義理の父によれば、完成した鏡餅は18日にトラックに積んで町内パレードを行い、
19日に町内の人達と神社に奉納するそうだ。

奉納する時はバスを借りて、皆で行かれるとのこと。

マイクロバス一台位の話かと思ったら、よく聞けば大型の観光バス10台位で行くらしい。

今迄は国府宮の裸祭りというのは、テレビのニュースで見ただけの知識しかなかったが、
実は途轍もない大きなお祭りだったと知った。

裸祭り自体にも興味が出て来たので、一度調べてみたい。

鏡餅9

※役目を終え、引き上げられる石臼。お疲れさまでした。



2015-08-04

◆濱名惣神明宮

静岡県のお寺巡りに出かけた際、たまたま見つけた神社が凄そうだったのでお参りに寄ってみた。

濱名神社①

社名は「濱名惣社神明宮」という。

濱名神社⑨

社歴によれば、その昔、この地方を統治していた濱名縣主(はまなのあがたぬし)なる豪族が先祖神を祀る為に建てたのが始まりのようだ。

「縣(あがた)」というのは古語辞典(旺文社)によれば、

地方豪族の所有地。大化の改新以前に開墾によって所有地となったもので、「吾(あ・私のこと)が田」の意

とあった。この神社の近くに浜名湖があるが、この浜名湖という湖名のルーツを辿ると、案外この濱名縣主に辿り着くかも知れない。この地域を治めていた偉大な豪族だったのだろう。

具体的に何年に創建とは分かっていないようだが、940年に御祀神が天照大神に替わっているという記録を見るに、相当古い神社であることが伺える。この地域を代表する古社であろう。

濱名神社②

参道入り口からの景色であるが、なかなかに凄い神社だというのが伝わって来る。

濱名神社③

夏祭りがあるのか、何か準備をしているようだった。しばらく歩くと鳥居に見立てた立派な楠の御神木が見えた。

濱名神社⑪

御神木の前に看板があったので、立ち止まって読んで見たらおもしろいことが書いてあった。どうもこの御神木、近年になってから御神木に決まったらしい。神社庁ではこういう仕事もしているようだ。

「神社庁御神木審議会」なるものがあること、御神木とは昔から決まっているものばかりではないこと、どちらも初めて知った。

濱名神社④

しかし、なんとも清々しい神社である。

画像の社はコンクリート製の拝殿であるが、神様がいらっしゃる本殿の祀られ方は珍しい形態だった。

濱名神社⑤

山の斜面?を利用した階段の先に祀られていた。なんともいえない神々しい雰囲気がある。

また、この本殿も珍しいものであった。

濱名神社⑩

国の重要文化財に指定されている建物だった。

しかし、この神社で最も印象にのこったことは「本来の御祭神が替わってしまった」ことであろう。
元々の濱名縣主の先祖神、太田命が本殿から追い出されてしまったのである。

現在、その太田命はどこにいってしまったのかと言うと、拝殿向って右側の小さな社に祀られていた。

濱名神社⑥

後で気付いたが、この写真、社の屋根の辺りにボワツとしたオレンジ色のもやのような光が出ていた。
一種の霊的な写真かもしれない。

さて、この太田命(おおたのみこと)について調べてみた。

太田命は別の漢字では、意富多多泥古命/太田田根子命(おおたたねこのみこと)とも言う。

第10代崇神天皇(前148~前30年)の御代、疫病が大流行し多くの人達が亡くなった。

天皇は大いに愁いていたが、ある日、夢枕に大物主神(おおものぬしのかみ:三輪大社の御祭神)が現れ、

「我が児、太田田根子をして私を祀らせれば天下は平らぎなん」

と御神託があった。

そこで天皇は太田田根子を探しだし、大物主神を斎祀ったところ疫病は治まり天下泰平になったと云う。


太田田根子、即ち太田命は大物主の神の子孫であり、初代三輪大社の神主であるということだ。

そして濱名惣社神明宮を創建した濱名縣主は太田命の子孫でもある。

濱名神社⑦

調べてみたら記紀神話にも登場する有名な神様であった。

しかし、平安時代に御祀神が入れ替わっているのに、よくぞ今日まで忘れられず小さな社の状態で残ったものだ。
これはとても珍しいことだと思う。

神社巡りをしていると、特に地方にある神明社、天照大神を祀る神社に行くとどこか違和感があることが多い。
全部とは言わないが、どうも明治時代に御祭神が替えられた形跡があるような感じがする。

もともと地方の神社にしかない、記紀神話には登場しない氏神が大分替えられてしまったのでは?と思えるのだ。

例えば、明治以前の東京では最も多かった神社は明神社と呼ばれるものだったと聞いたことがある。
この明神社で祀られていたのは、あの関東の英雄「平将門」であった。

しかし、江戸城が皇居になる際に、東京各地の明神社は、平将門は悉く別の神様に替わってしまったのだ。
平将門と言えば、王権側から見れば逆族である。庶民のヒーローも目線を変えればヒールになってしまうからだ。

こちらの濱名惣社神明宮の場合は、元々の氏神も記紀神話に登場する神様だったので残ることが出来たのかもしれない。
今回の参拝を経て、神社の神様も人間の都合によって振り回されて大変だよなぁと改めて思いました。

これをお読みの皆様も、ご自宅の近くにある氏神様に行って見て下さい。
境内をくまなく探せば、本来の氏神様がどこかにいらっしゃる・・・のかもしれません。


おしまい


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紅葉屋呉服店

店主 加藤大幾(ひろちか)

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2014-06-23

物部神社

名古屋市東区、とある交差点の角にある小さな神社、「物部神社」。
月一で通っている歯医者さんに行く道中にある神社で、いつも通る度気になっていた神社だ。

物部神社④

物部神社の歴史は古い。式内社ということなので平安時代には既にあった神社だ。

物部神社③

神社で頂いた社歴によれば御祀神は宇摩志麻遅命(うましまでのみこと)、物部氏の先祖神だ。
平安時代に編纂された延喜式神名帳、愛知郡の部に物部神社の名前が記されている。

その後、元禄年間に藩主、徳川綱誠(つなのぶ)の命令により重修、遷宮されたとあった。

因みにこの藩主、藩主になって6年で急死しているらしい。

物部神社⑥

霊璽(れいじ)は一塊の大石であるという。璽は宝という意味がある。

物部神社⑤

御神体が石であることから、石神神社、石神堂と呼ばれているようだ。
神社の横に公園があるが、この公園の名前が「石神公園」だったのでここから名付けられたのだろう。

物部神社①

区画整理の為、神社の規模も随分小さくなっているようだ。
この公園も元は神社の境内だろう。

神社によく遊具があったりする光景をみるが、本来あってはならないものだ。
長い歴史の中で様々なことがあったとは思うが・・・。これも仕方がないことか。

この神社の社歴にはこうある。

神武天皇が凶魁(かいい)を討ち給いし時、この石を以て国の鎮めとなし給うという
俗に要石、鎮撫石と称し、なおこの石を世に根なし石とも伝へ、全国に水戸、鹿島三カ所の在すると言う。

かつて国主光圀、これを掘らしめしに竟(つい)に掘ること能はざりきりと伝へ 石神の称はこれより起こる
宇摩志麻遅命は神武天皇御東征の時、御父饒速日命(にきはやひのみこと)と共に長髄彦(ながすねひこ)を
殺して帰順せられ後 物部の軍兵を率いて専ら皇城守護の任にあたられた

神武天皇即位に、命は伝来の十種の天瑞宝と神盾を献上し布都神剣を殿内に安置し
天皇、皇后の御魂を鎮め寿祚(じゅそ)を祀った。



とあった。

大変興味深い昔話である。御神体でもある霊璽、即ち巨石のことだが、神社の方に何処にあるのか聞いた所、
境内の地面の中にあるという話だった。

境内にはいくつも社があるが、その中の一つ白龍社の社殿の下にあるらしい。

物部神社⑧

社歴を読んでいて思ったのは、神武天皇がこの地に来たのは戦争の為だろう。
地元の豪族と戦になり、これを討ち滅ぼした。

そして倒された相手が祟って出てこないよう大岩で封じたのではと思った。
二度と出てこれないようにだ。

社歴には他にも気になる箇所がある。
一つは光圀、これは水戸黄門のことだろう。光圀の伝説には古代の神々の研究に纏わるものが出てくる。
社歴を読むに、あろうことかこの霊璽を掘り起こそうと試みたらしい。
だが結果的に、掘る事は出来なかったようだ。

村人たちの反対にあったのか?
あるいは掘り始めたら祟ったからなのか?

この一文からも尋常ではない岩であることが伝わって来る。

次に気になったのは「十種の天瑞宝」という文字だ。
これは神道最大の謎ともいわれる十種神宝(とくさのかむたから)のことだ。

十種神宝は物部氏の先祖神に纏わる書物「先代旧事本記」に登場する謎の神宝で、
天照大神から饒速日命が授かったとされるものだ。

奈良県にある石上神宮に残るとされているが、見た者はいない。
石上神宮も物部氏に縁の深い神社なので、名古屋の物部神社にその名があったのも納得だ。

ふと思ったが十種神宝というのは複数あったのかもしれない。

社歴についてではないが、もう一つ気になることがあった。
本殿を参拝していて、これはまずいなと思ったことだ。

物部神社⑦

本殿の真後ろの土地にマンションが建っていたのだ。
今まであちこちの神社にお参りに行ったが、幾つか気付かせて頂いたことがある。

その中の一つに社の後ろにある木や森が、神社にとっては途轍もなく大切だというものがある。
そこは神様にとって最重要な場所なので、本来人が住むところではないのである。

これも先ほどの公園と同じく、仕方のない事情があったのだと思うが、社を見下ろすような高層マンションをみると
「うーーーん」と思う。

いくら安くても自分なら畏れ多くて住めないかなぁ・・・。




2013-08-15

木曽駒登山 

8月11日、本格的な初登山をした。場所は長野県の木曽駒。

以前、友人に9月に白山を一緒に登らないかと誘われたので了承したが、
こちらは登山はど素人。

白山は登りに4時間かかるそうなので、練習を兼ねて木曽駒に行くことになった。

木曽駒1

早朝から登り始めて2時間位で登頂出来た。
天気も良く、景色も素晴らしい。

へばりながらも登る事が出来たのも、同行してくれたんNさんのアドバイスや協力があったおかげだ。
ありがとうございました。

さて、山を登る人にとって「山登り」とは様々な意味があると思う。
良い景色を見る為、リフレッシュの為、運動や観光、目標を達成することで得られる喜び・・・。
登山に興味が無い方でも一度は耳にしたことがある言葉「そこに山があるから」などなど。

どれも山登りをするのに明確な答えだ。

しかし、もし誰かに「山に何故登るか?」と問われたら「御登拝です」と答える。
よくよく考えても、それ以外の答えは見つからない。

実際、山には社が設けてあることが多い。木曽駒もそうだった。

木曽駒3

大きな磐座もある。山には数カ所こうした社があったが、写真の場所には大きな剣(鉾?)もあった。
木曽駒4

鉄の為、錆びて折れていた。結構古い物だろうか?

木曽駒2

何とも雰囲気のある鳥居がある社。

木曽駒12

これが山頂、一番高い所にあった社。

ヘロヘロになりながら、手を併せてお参りをする。
登頂出来た事と、山の神様に出会えたことを感謝する。

御祀神は分からなかった。何も書かれていない。
今思えば不思議だったが、何故かこの時、辨財天の真言を唱えていた。

山の頂には石がゴロゴロしていた。
人が沢山いたので、直ぐには想像出来なかったが、もしこの場所に一人でいたとすると、
どこかおっかない感じを受けたと思う。

賽の河原とはこんな感じではなかろうか。

脳内で誰もいない状態を想像した時、ここはあの世とこの世の境では?と思えた。

参拝を終え、頂上に沢山転がっていた石の一つに腰かけ、持参したおにぎりを食べていた時、
ふと空に目をやると、谷の方から垂直にもくもくと雲が現れた。

木曽駒11

偶然かもしれないが、私には首をもたげた大蛇に見えた。
眼下の山に匹敵するかのような超特大の大蛇だ。


自然現象には違いないが、唯の偶然と捉えるか、それとも山の神か辨財天か、
あるいは他の何かが御褒美をくれたのか…。

ただ有り難いなと思った。



プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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