もみじの記録帳
古き良きものや、日々の気付き、思ったことを気ままに記録しています。
BS観てたら。
正月休みにNHKのBS放送で視聴者が選ぶ全国の仏像を紹介する番組があった。手紙を元にその寺や仏像についての思い出を語りながら紹介する番組だ。
素晴らしい仏像の映像が沢山流れたが、一際、異様な迫力のある仏像があった。福岡のとある寺に祭られる、7メートルの木彫の千手観音だ。平安〜鎌倉時代のその仏像は、厨子を開けるところから映されていた。

テレビの画面越しにも関わらず、厨子が映った時から「これはとんでもないものが入っている」と直感した。霊木で彫ったエネルギーの塊のようなその姿は、尋常ではない雰囲気を醸し出している。実物を観たら足が震えるかもしれない。

その千手観音を紹介した視聴者が、写真を趣味としているお父さんだった。しかし、その千手観音を参拝し、何枚か写真を撮ったが、現像したら全部ぶれていて、まともに撮れたのは一枚もなかったそうだ。番組内でもぶれた顔の写真を紹介していた。

嘗てこのブログでも紹介したが、神社に行って不思議な写真が撮れる時は、デジカメに異変が起こる。そう、このお父さんと同じく、画像がぶれまくり焦点が定まらなくなる事があるのだ。

福岡までは遠いが、この千手観音、一度お参りに行ってみたいと思った。

仏像と光背
20年ほど前の話。当時、父が所有していた織部焼の古い器があった。本人もかなりお気に入りだったそうだ。ある日父が出入りしていた名古屋市内の某骨董屋さんに、1200年くらい前に作られた、20cm余りの金銅佛があった。値段を聞いてみると、とても高くて買えない。しかしその御姿に惹かれた父は何とか手に入れようと思った。
そこで所持していた織部焼の器を交換に持ちかけたら話は成立し、我が家にご縁があった。
(因みにこの時の器は、現在瀬戸の陶磁器資料館に入っている)

この仏像、保存状態は良かったが、仏像に付き物の光背(仏像の背にある板のようなもの)が紛失していた。光背とは仏が内より放つオーラを意味しているらしい。

「惜しいなぁ」と思った父の脳裏に「あれっ?ひょっとして…」と浮かんだものがあった。仏像を手に入れる何年か前、安城市にある某骨董屋にて仏像の光背だけ入手していたのだ。それがあまりに古くて美しい細工がしてあったので安かった事もあり購入したのだ。

仏像のサイズ的にはピッタリ合いそうだったので、合わせてみた。するとどうだろう、「パチ!」という音と共に二度と外れなくなってしまった。仏像と光背をよく観察してみたら驚く事が判明した。光背についていた傷と仏像の背中の傷の場所が一致したのだ。
そう、もともと一つのものだったのである

全く違う場所、違う時期に入手したものが出会う。不思議な御縁です。
庭から・・・
父が子供の頃に体験した話。中学生の時、金色眩い大きな釈迦が現れ、その当時庭に植えてあった百日紅の根元にスーッと小さくなって入っていく不思議な夢を見たそうだ。
朝起きても鮮明に覚えていたので、「まさかな」と思いつつ夢に出てきた百日紅の根元を少し掘ってみたら、なんと鉄製の10円玉くらいの大きさの、苦行の釈迦(ガリガリに痩せている)の姿をあしらった絵銭が出土した

この絵銭、調べてみたが日本のものではないようだ。形はひし形で図柄も珍しい。また4文字で「自求多福」とある。
「幸せは自らが求めなさい」という意味だろうか。夢で見た通りに庭から釈迦の図柄の絵銭が出てきたのも驚くし、何でうちの庭にそんなものが埋まっていたのか疑問もあるが、そんな事より「自求多福」の四文字が何かとても深い意味があるなと、このブログを書きながら考えています。

※今回改めてこの絵銭を見て文字がある事を初めて知りました。
笑う仏像
思い起こせば、子供の時からホントに沢山の仏像と縁があった。最初の興味は造詣としてのカッコよさだった。小さい子供が車種やヒーロー番組のキャラクターを覚える感覚だ。やがて見ている内にあったかいものを感じたり、気分転換できるなと思うようになった。

そんなある日、仏像が笑う事に気付いた。一見、無表情に見える如来や菩薩像の表情が明らかに変わるのだ。初めてこの体験をした時は驚いた。何でだろうと考えたが直に答えが湧いてきた。

仏像は鏡と同じだったのだ。観る側の心の在り方で、「怖いな」と思えば険しい顔に観え、逆に「有り難いな。嬉しいな」と思うと満面の笑みに観えるのだ。

殆ど感性の話だが、これを世迷い事と受け取らず素直に実践してみて欲しい。例えば大きな、そう奈良や鎌倉、岐阜などの大仏などは、最初デカイ姿に「怖さ」を抱くと身がすくんだり、びっくりしたりするが、自分の心で受け止め「感謝と喜び」の気持ちに変わる時、大きなお顔が「ぐわーっ」と笑うので二度びっくりします