2018-04-10

◆京都・『閑臥庵』

京都の泉屋博古館という、中国の古代青銅器を沢山収蔵する美術館を観に行くツアーに参加した。

そのツアーの中で昼食で立ち寄ったのが黄檗宗(禅宗)のお寺、「閑臥庵(かんがあん)」だ。

こちらのお寺は京懐石普茶料理という、肉や野菜を使わない料理が有名である。

実際、初めて食べた普茶料理はなかなか美味しかった。


閑臥庵はツアー的には昼食で訪れただけだが、個人的には本ツアーの中で一番驚いた場所だった。

平安時代の陰陽道の神像を祀っていたのだ。

京都閑臥庵①

仏像と神像、どちらも好きでお参り出来る機会があれば拝観に出かけるが、仏教の仏様を彫ったものが仏像。かたや神社の神様を彫ったものが神像と言う。
 
 大陸から来た仏教の仏像と違い、神像は日本の神なので、着ている服装も昔の人の服装に準じている。官位束帯の出で立ちが多い。しかし、こちらのお寺の神像は、神道(日本風)の神像ではない、大変珍しい陰陽道の神像なのだ。
 
 
閑臥庵チラシ・部分
(画像は頂いたチラシより)

この神像は「北辰鎮宅霊符神」と言う。陰陽道の最高神、北斗七星(北極星とも)を神格化した神様だ。

何でも元は平安時代の中頃、円融天皇が方除、厄除の霊神として京都の丑寅(うしとら:東北)に当たる貴船に祀ったもので、安倍晴明に付託開眼させたと伝えられる金剛像とあった。


貴船と言えば貴船神社のことか。閑臥庵がある場所は町中の平地だ。貴船はもっと遠い山の中である。


京都閑臥庵②

お寺にある縁起によれば、江戸前期頃、後水尾法皇が夢枕に立った父、後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護の為に貴船の奥の院から、この地へ勧請したとあった。


来歴を見て気になったのは、京都御所から見て鬼門は比叡山であり、貴船はほぼ真北であることだ。貴船は鬼門ではないということ。それと平安時代に鎮座したものを、霊夢とはいえ何故この地に持ってきたか?である。
 
 
食事中、男性のスタッフが料理を運びながらこの北辰鎮宅霊符神について解説してくれた。


京都閑臥庵③

話は変わるが、今更気付いたが、上の写真の左上、何か黒い影が写っている。丸い何かだろうか。気持ち悪い感じはしないので多分大丈夫だと思うが、私と一緒にお堂を見てた感じか。まぁこういうこともあるか・・・。

話を戻そう。


この男性は神主(?)らしく、お寺の本尊はお坊さんが、北辰鎮宅霊府神はこの神主さんがお参りしているらしい。変わっているのは北辰鎮宅霊符神の祭祀は夜にやるということだった。
 
また通常神社の参拝の所作は、柏手は2回叩くがこちらの場合は7回叩くそうだ。
 
 
これはこの神様が北斗七星であるからとのことだった。なぜ夜祭祀をするのかと言うと、陰陽道は呪い要素が強いので人が寝静まった夜に行うとのことであった。
 
 
確かに陰陽道には式神を始め、映画や小説、漫画などの影響もあり呪術合戦というイメージがあるが、むしろ陰陽道の中核はあくまで暦だ。
 
夜に行うというのは、やはり最高神が天体の中枢でもある(と考えられた)、北極星や北斗七星を神格化した神様だからということではと思う。夜でないと星は見えないからだ。
 
 
私が今まで実際にお参りした神像、本で見た神像、そのどれとも違う姿が衝撃的だった。陰陽道では丑寅の大金神、牛頭天王、そのご子息たちの八王子など、祟り神の方のが有名なので陰陽道的な神像も牛頭天皇や八王子は見たことがあったが、この北辰鎮宅霊符神のような神像があることすら知らなかった。
 
 
それもそのはずで、長らく秘仏であったらしく、こちらのお寺でも公開に踏み切ったのは2009年からとのことであった。


食事が終わった後、今一度このお堂の前に戻り、観察してみた。


確かに狛犬にも陰陽道の形跡があった。

京都閑臥庵⑤


五芒星だ。

神像を祀るお堂では線香は焚かないが、こちらには線香を燃やす炉もあった。その線香の置き方も五芒星だ。

京都閑臥庵④

再度手を合わせてお参りし、格子の隙間から中を除くと、黄檗宗系の中国系の天部像も祭ってある。そしてこれも興味深かったが、秘仏だった北辰鎮宅霊府神の※御前立が宇賀弁才天だったことだ。
 
日本の宗教は仏教や神道、そして陰陽道が複雑に絡み合っていた時代があった。その中で北辰鎮宅霊符神が密教の宇賀弁才天と習合したのかもしれない。弁才天ならありえる話だ。
 
 
閑臥庵に特殊な神像があることは、そんなに有名ではないようなので、殆どこの神像に纏わる資料らしい資料は見当たらない。近年まで秘仏だったので猶更だ。


短い滞在時間だったが、色々と考えさせられるお寺だった。ある意味最も京都らしい神像を祀っていると言える。晴明神社をお参りする人は、ぜひ足を延ばしてこちらへお参りに来ることを強くお勧めします。



※御前立・・・厨子に閉ざされた仏像の前におく仏像のこと。本尊を真似たものが多い。このお寺のように全然違う姿の仏像を置くのは稀である。

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2018-03-27

◆辨天寺

弁天寺1

名古屋市港区にあるお寺「辨天寺」。
 
 
仕事中に真言宗の匂いのするお堂を見つけた。
 
 
個人的に弁天様は好きでよくお参りしてるので、お寺の名前を見てこれはお参りせねばと立ち寄った次第。


お堂の中に入り、手を合わせてお参りしたが凄い弁天様だと感じた。


弁天寺6


弁才天を本尊格で祀るのは珍しい。


日本三大弁天の一つに、滋賀県の竹生島の弁才天が挙げられるが、そこの名古屋別院がこちらのお寺だ。


弁才天のお姿は大まかに分けて2種類ある。一つは腕が2本で琵琶をもった姿。


もう一つは腕が8本で、頭上に宇賀神を頂く宇賀弁才天と呼ばれる姿だ。


辨天寺の弁才天は後者で秘仏となっている。


本尊秘仏宇賀弁才天は、元々は彦根城の城主、井伊直弼公が天守閣に安置し信仰していた尊像で、明治初年に井伊家より竹生島に奉納されたものがこちらで祀られるようになったとのこと。大正の頃に建立したお寺と聞いていたので、本尊は新しいのかと思っていたが少なくとも江戸期のものであると分かった。
 
 
お寺の資料によれば、宇賀弁才天の八本の腕にはそれぞれ持物と呼ばれる宝具を手にしているが、それらは如意輪観音、馬頭観音、準堤観音、聖観音、千手観音、十一面観音、不空絹索観音、白衣観音の八大観音の惣体を表し、各々の誓願を示されたものであるとあった。


これはつまり凄い御力を持っているということになる。八大観音の力だ。

 
資料にはこうもあった。おそらく弁才天に関する経典の一節であろう。


弁才天の御本誓は、もしも貧苦で困り果てた人があって福運を祈る時、

「我もし一、七日の中に其の願を満たさなかったならば、誓って正覚を獲られない。そして若しもこの言が虚妄であったならば、我逆罪を作らずといえども、阿鼻城を家と成し、無量却を経ても仏にまみえない」


弁天さまの言葉を借りればこういうことだろうか。


「貧苦で苦しんでいる人が私に福運を祈る時、1週間以内にその願いを満たすことが出来なかった場合、私は正気ではいられません。そしてもしこの誓いが虚妄であったなら、私の家は八大地獄の様相になりますし、私自身も永遠に仏(如来)には会いません」


福徳貧転の願いが成就できない場合は、弁天様は落ち込みまくって地獄のような状態になる・・・・・・。
 
 
つまり裏を返せば途轍もない弁才天の自信の現れた言霊なのだ。私を信じ、貧苦からの脱出を願うものは必ず成し遂げましょうと言うのである。


真面目にお参りしる人には、御利益がありそうな感じがしたお寺だった。名古屋一の弁天様と呼んでもいいかもしれない。


ご興味のある方は是非お参り下さいませ。




◆辨天寺

住所:名古屋市港区多加良町4-278-1
電話:052-381-2306

1月1日~1月7日 御開帳




2018-02-12

◆犬神様を考える 最終回  ~庶民にとっての氏神とは~

神社の神様の御利益というのは神様の性質に沿ったものだ。しかし、神社によっては、


「本来のこの神様は、恋愛成就が得意分野だと思うけど、商売繁盛や交通安全とかあるなぁ。後付けじゃねぇか、これ?」


と思う事がある。


伊奴神社の御祀神の一柱、伊奴姫神の御利益は子孫繁栄とあったが、手持ちの資料には伊奴姫神と子孫繁栄の接点は分からなかった。


伊奴神社③


昔から犬が多産で仔犬の育ちもいいことから、犬にはお産、子育てに関する霊力があると考えられていた(過去ブログ参照)。


なので、伊奴神社の言う伊奴姫神の御利益については、むしろ昔話の方の犬の王から連想されたものではと思う。


今回のブログを纏めるに辺り、終わり掛けになってそう言えばこんな話もあったなと思い出したことがあった。


伊奴神社から南へ1キロほど行った所に、一体のお地蔵さんがある。街角のどこにでもある小さな石仏だ。


細池地蔵③


名前は細池地蔵。このお地蔵さんには、それを祀った経緯が残されていた。


細池地蔵①


大正の中頃に建立されたお地蔵様。元々この近辺には池や湿地が多く、疫病の流行や、水死などで子供が育たなかった。


それを憂いた古老が地蔵尊を祀った所、事故死や病死が無くなったと云う。


始めてこの看板を見つけた時は「へぇ・・・。」と思っただけだった。


この地域が伊奴神社の管轄内だったと知ったのは実は最近なのだが、そうなると無視出来ない情報となった。

細池地蔵②



子宝、子育てを御利益とする伊奴神社の管轄内で、子供が育たないという真逆のことが起きていたのだ。


このことから、私は二つのことを考えた。一つはやはり伊奴姫神の御利益は子育てとは関係がないこと。


もう一つは、犬とされた神のメッセージではないのか?と言うことだ。


犬ではなく、本来はこの地域の人々にとって祀られるべき氏神なのだと・・・。


人は死ぬと、魂となり山へ帰る。そして魂が何世代も集まると先祖神となり氏神となる。大昔の日本人が考えた神の考え方の一つだ。


神道の入門書的なものには、神道の神は元々は自然から発生したという記述があったが、私たちの身の回りにある神社には自然そのものが神になった神社は殆どない。

 
記紀神話に登場する神様が圧倒的に多いのだ。しかし、神社の見方が分かり、地域に遺る民話を調べていくと、忘れられた氏神、その地域の先祖神の面影が観えることがある。


自然という圧倒的だが、どこかふわっとした神よりも、もっと生々しい一時代を生き抜いた先祖神達の方が、日本の神社の結構な部分を占めるのではと思う。


様々な理由により、犬や羊など動物となってしまった神々、まだ祀られるだけでもましかもしれないが、中には「大蛇と犬の昔話」の大蛇のように完全に忘れられることもある。妖怪・鬼などの中にも零落した私たちの先祖神もいるかもしれない。


神社に興味をもって20年ほど経ったか。調べれば調べるほど神社は興味が尽きない。そして神社によっては私達の、その地域の遠い先祖達の姿を垣間観ることがある。
 
 
歴史は長い。そして勝った者が歴史を作る。勝った者がいれば負けた者もいる。


神社の中には負けた方の壮絶な痕跡を観ることもある。そういう歴史の積み重ねの上に今の自分が繋がっていると考えてしまう。心情的に負けた方に同情し、時には怒りを覚えることもある。しかし、勝った方のお陰で今の日本があるのもまた事実なのだ。


神社とは勝った神、負けた神、そのどちらにもただ感謝して、どうぞ安らかにとお参りすることなのだと思う。




※追記

まだまだ知らないことも多いですが、神社のことが一つずつ分かると、神への敬意と仏の有難さが身に沁みますね。お地蔵さんの慈悲の力は凄い・・・。最後になりますが本ブログの内容は個人的な意見です。


2018-02-10

◆犬神様を考える 第12回 ~犬の王 その3~

過去回で犬頭糸の昔話を取り上げた。(こちらを参照


この話では男女の夫婦が登場する。二人でいた状態から、夫が家を出てしまい、しばらくしてまた妻のもとへ帰り円満となる。


私はこの夫婦が人ではなく後で祀られた夫婦の神ではないかと考えた。


前回で、祟る神への対応方法とは、どのようなものがあるかを述べた。


①仏様の力を借りて供養する。

②別の強い神を持ってきて封じ込める。

③祟る神自体を祭り上げて神として祀る。



この三つの方法の内、犬頭糸の話での唯一の疑問、男女の存在とは上記の対応方法の②に当たる、即ち祟る神を別の夫婦の神で封じることがあるのでは?と考えたのだ。


個人的に神社を参拝していて②では?と思える神社があるが、この場合姫神が多いように思う。何故かは分からないがそうなのだ。そして姫神だけではなく夫婦神を祀ることで封じを行うこともあるように思えてきた。


犬頭糸の昔話において、二つの話が合わさっているのではと思った。犬と蚕と女性(嫁)の話で物語は完結しているのに、男(夫)が家を出てしまい、後で帰ってくるという件はこの話の本筋に必要がないように思う。


犬頭糸の昔話において、夫の出入りは何を意味するかを考えてみた。


この男女を犬とされた神を封じる(祟りを抑える)為に、後から祀った強い夫婦神だとする。しかし、一旦祀られたが、後に何らかの理由で、男神の方を移転したところ祟りが起きてまた戻したともとれる。


封じとは一種の呪(まじな)いだ。呪いは人には喋れない。喋ったら効力が無くなると信じられていた。


故に良く分からない昔話の中にだけ、そのヒントが残ることもあるのではないか。


前回では、伊奴姫神が祀られる前に謎の「犬の王」を祀っていて、やがて時が流れることで何者か分からなくなり、「イヌ」という言葉(発音)から記紀神話に出てくる伊奴姫神になったのではと考えた。

 
しかし、夫婦神で元の荒ぶる神を封じることがあるとした場合、伊奴姫神とその夫の大年神の二柱の夫婦神が祀られる必然があったと解釈も出来るのではないか。


併せて記紀神話の中に登場する神々の中で、あの強い荒ぶる神様、素戔嗚尊も祭っている。


あくまで個人的な意見で何も確証はないが、「犬の王」の昔話を読み解いていくと、伊奴神社は封じの神社では?と思えるのである。


伊奴神社⑪


2018-02-09

◆犬神様を考える 第11回 ~犬の王 その2~

犬の王の昔話から着目した点を挙げてみた。


まずは神社の社歴からも、昔話からも読み取れる「稲」について考えてみる。稲、米というのは当時の日本人にとって大変貴重な命の糧である。神様にも供えるものだし、米から出来る酒も神に供えるものだ。京都の伏見稲荷の昔話には、伏見稲荷を祀った古代豪族「秦(はた)氏」が増長、慢心したある日、鏡餅を的にして弓矢を射たところ、罰が当たって酷い目にあったというものがあった。


古代の豪族にとって大切だったものが鉄と稲なのである。敵と戦う強力な武器と、命を繋げる食料だからだ。


今日の「国」と言うのは北から南までを日本国と言うが、当時の国は今で言う県みたいな感じであった。それぞれの国に王がいたのである。社歴には天武天皇の時に稲を献上したとあるが、これ、自主的に献上したとは思えない。犬尾・犬頭神社の話でも述べたが、やはりある時期に軍隊と共に朝廷側の使者が来たのだろう。


そしてこの地域の豊富な稲作を見て、それが税金という話になったのではと思える。


伊奴神社④


岡崎市の犬頭神社よりももっと情報が少ないので不明な部分が多いが、この神社の当初の氏神こそ「犬の王」ではないのか。


侵略をうけ、降伏したのか戦って殺されたのかは分からない。


ただ、「犬の王」の昔話から察するに、犬の王とされた人物の塚のようなものがあり、ある時近隣の誰かが氏神様を怒らせることをした。結果、水害が起こり稲(犬の王とされた氏神を象徴するもの)に壊滅的な被害が度々起こる。
 
 
そこへ山伏(能力のある人物)が供養ではなく神を封じる何かを施す。


しかし、約束を破ったことでまた被害が多発。今度は神として祀るしかないということで神社を建てた・・・。


昔話を拾っていくと、祟る神を鎮める方法は3種類あるように思う。


①仏様の力を借りて供養する。

②別の強い神を持ってきて封じ込める。

③祟る神自体を祭り上げて神として祀る。



というものだ。


伊奴神社の地域に残る昔話は、上記で言うと③と②の可能性があると思う。


昔話が7世紀頃だとすると、この時の御祭神は伊奴姫神ではなかったかもしれない。蔑まれ名前も残すことが出来なかった、本来のこの地域の氏神、犬の王とされた人物を祀っていたのでは・・・。


時が流れ本来の氏神が忘れられた頃(平安期)、御祭神の「イヌ」という言葉から、記紀神話の神々の中から呼び名が同じ発音の「伊奴姫神」ではと解釈されたのではと思う。


私は先に犬の王ありきで後から伊奴姫神になったのではと結論を出したが、もう一つの結論として「こういう考え方もできるのでは?」と思えることが出てきた。


過去回で三河に残る「大蛇と犬」と「犬頭糸」の昔話を紹介したが、犬頭糸に出てくる「男女の存在」だけが分からなかった。


でも今回の考察を経て、この男女の存在が分かりかけてきたのだ。


次回はその辺りと、伊奴神社の御祭神、伊奴姫神がなぜ祀られたか?を別の角度で考えたいと思います。



プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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